モリオの不定期なblog

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映画のテレビ放送におけるカットについて。『劇場版 PSYCHO-PASS』の●●●●のカット。

 映画がテレビ放送される際には、往々にして発生するカット。放送可能な尺は限られている為、記録的大ヒットした作品でもない限りノーカットは望めません。そもそもテレビ放送のカットに対して気になるほど作品が好きなら、Blu-rayやDVDを買っていると思います。しかしそれでも時間があれば観てしまいますし、その際に「初見の人に伝わらない。」や「そもそも、テレビで初めて見る人はそこまで真剣に観ていないので特に問題ないのでは?いや、それは偏見では…」などと、我ながら面倒臭い事を考えてしまいます。

 

そもそも一視聴者の私が考えても仕方のない事ですが、やはり気になってしまうもの。そんな中、どうしても許せないカットを行われた映画があったので、今回はここに不満をブチまける事に致します。

 

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 問題の映画は、『劇場版 PSYCHO-PASSサイコパス)』。1月23日(水)午前2時10分にフジテレビテレビで放送されました。最新作である『PSYCHO-PASS:SS Case.1』の1月25日(金)の公開に先駆けて放送されたのですが、深夜だから比較的カットは少ないだろうと考えていたら、とんでもないカットに直面しました。

 

 

 

 

 まずオープニングのカットです。凛として時雨の『Who What Who What』と共にテレビシーズの映像等を見せていくオープニング。『PSYCHO-PASS』においてオープニングは、最新作で上映時間が60分と短くても入れるくらい欠かせません。

 


凛として時雨 『Who What Who What』

 

 

物語の根幹となるシビュラシステムに関する説明からオープニングにつながる構成となっているのですが説明はカットしてない為、オープニングのカットが余計に際立つ。説明の部分を見ていて「さあ、格好良いオープニングがくるぞ…」とワクワクしていたところでバッサリカット。

 

まさか…まさかオープングをカットするとは…イントロ聞こえるか聞こえないかってところまで見せておいて…

 

ストーリーの根幹に関わる訳ではないから、と自分に言い聞かせて視聴を継続。ところどころカットをしつつも、あらすじの理解を阻害しない程度で本編自体は概ね満足。しかしエンディングもイントロを聞かせておきながらカット。

 

オープニングをカットしたくらいだから仕方ない、と再び言い聞かせていた直後、とんでもないカットが起こりました。

 

エンディング後の選挙結果シーンが丸々全てバッサリカットされていたのです。ラストでは内戦が続いていた国でのシビュラシステム導入を問う選挙結果が示されていたのですが、これがカット。あり得ない、オープニングとエンディングのカットは百歩譲ったとしても、これだけは看過できない。

 

 

 

 そもそも、物語の根幹となるシビュラシステムについて簡単に説明すると、人の悪さを数値化するシステムで、数字が高いほど悪い人と見なされます。このシステムは犯罪を起こしてなくても数字が高いだけで潜在犯と見なされます。しかし問題は、逆に数字が低ければ犯罪を犯しても捕まえる事ができないという欠陥システムである事。

 

 

 

 以前の記事でも述べさせていただいたのですが、「不完全なシステムの中で、どう折り合いをつけるのか。」という事が、本作のテーマの一つだと思っています。シビュラシステムによる管理社会の中で常守朱たち警察が、その中でも平和に暮らせるように勤めを果たす。そんな彼らの在り方が、観客である私たちにとって普遍的に感じられ感情移入できるのだと思います。もし、シビュラシステムに反旗を翻し打倒する展開になったら、本シリーズは今ほど人気になることはなかったのではないかと思います。

 

mori2-motoa.hatenablog.com

 

 

不完全で不条理なシステム・仕組みの中で生きる事は私たち現実世界でも同じ事です。人間関係というミクロなものから会社や国家、世界というマクロなものと様々なシステムの中で私たちは生活しています。

 

少しでも幸せに生きる為にシステムを壊すのではなく、その中で上手く生きていく。だからこそ本作が、社会人や学生、世代を問わず心に響くと思います。(映画館で鑑賞した際、老若男女問わず様々な観客がいました。)

 

だからこそ、ラストシーンのカットは看過できないのです。警察である主人公たちと異なり、選挙は社会と折り合いをつけるための数少ない手段なんです。選挙結果、国民はシビュラシステムを受け入れます。不完全でも不条理でも、内戦が起こるよりはマシだからシビュラによる管理を受け入れる。そこを見せられるからこそ、受け入れざるを得ない世界に対する虚無感が生まれると同時に、シビュラシステムの中で頑張る主人公たちの姿が更に輝いて見える。

 

 

 

 ラストシーンのカットは、選挙の結果は分かりきっていてる、茶番だと言って選挙を行おうとしなかったシビュラシステムの行いそのもの。だからこそ、今回のテレビ放送における所業は看過できません。(と言っても、ここで不満を言う事くらいしかできませんが。)

 

 

 

 以上、映画のテレビ放送におけるカットに対する一ファンの愚痴でした。最後まで読んで頂きありがとうございました。