映画『グランツーリスモ』が最高だった。この文章を次の映画の観賞までの時間を使って、映画館で書いています。この熱量が失われる前に書き残しておきたいと思います。
この作品は「『グランツーリスモ』というゲームをずっとプレイしてきた主人公が、本物のレースに挑戦する。」というのが、あらすじです。その中で、ことあるごとに「所詮ゲーム」といった趣旨の言葉、もしくはそうした意識を含有した言動を主人公は突きつけられます。
そうした「ゲームはリアルに敵わない」という意識から、「ゲームだからこそ」と思わされる描写の一つ一つ、主人公の言動・物語に心底興奮させられました。
ゲームは失敗しても直ぐにリトライできる。その一回一回のトライが簡易だからこそ、一回のミスが命取りになるリアルのレースでは敬遠される。
しかし、本作では、トライが簡易だから、簡易だからこそ、リアルでは不可能なほどのトライを重ねられる。そして、そこにプレイヤーのゲームをリアルを感じるほどの本気が加われば、その重ねられたトライは、ドライバーにとって、リアルにも勝る経験になる。
そうしたロジックから繰り出される終盤のレースシーン、車のパーツがバラバラに分解していく描写からドライバーである主人公の根っこにあるのはゲームで積み重ねたプレイヤーとしての経験だと感じさせるところからゴールまでのシーンは本当に痛快でした。
そこまでの登場人物たちのやりとりも、このカタルシスに大きく寄与していて素晴らしかった。主人公のヤンとチーフ・エンジニアで元プロドライバーでもあるジャックとの「ゲームで感じていた車との感覚はリアルにも通じる」ことが分かるやりとりにはグッとさせられました。こうした描かれる気付きが、主人公たちの互いの信頼関係とゲームもリアルに勝ることへの説得力が築いていて、勝利へのロジックに心底興奮させられていました。最高。
驚くほどの興奮、驚くほどの感動。全力のプレイヤーと完璧な擬似体験が合わさった時のカタルシスが素晴らしい一作でした。