モリオの不定期なblog

映画・特撮・アニメの感想や思った事を書きます。宜しくお願いします。

時代を駆け抜けた平成仮面ライダー達。今を生きた者達が、新たな未来を創り出す。祝え!世界をも超える物語を!

 『仮面ライダージオウ』が遂に放送終了してしまいました。1年間長かったような気がしますし、あっという間だったような気もしています。1年を通じて放送されるコンテンツは現在希少である事も相まってか、非常に懐かしいような不思議な感覚を抱いています。

 

私は2017年に放送を開始した『仮面ライダービルド』から再び仮面ライダーを視聴するようになりました。私が子供の頃に『仮面ライダー』シリーズを視聴していたのは、『仮面ライダークウガ』〜『仮面ライダーファイズ』の頃。その時から15年以上も経過しているので、当然いろんなところが変化していました。

 

まず最初に感じた変化は、デザインのストレートさ。どの仮面ライダーでもデザインには何かしらモチーフがありますが、近年の仮面ライダー達は、モチーフをそのまま頭や肩など、全身にくっ付けたかのようなデザインになっています。

 

はじめはその奇抜さに動揺するものの、そのお陰でそれぞれ仮面ライダー達を瞬時に見分けることができます。20作品もありながら、既視感を一切感じさせないのは凄い事だと思います。

 

平成仮面ライダー20作品記念ベスト(CD3枚組)

 

 

 

 デザインも異なっていれば、世界観や物語も全く異なる作品たち。歩んでいったその先で、神になった者や新しい世界を作った者も居れば、仮面ライダーとしての生活を続ける者や一般人としての生活に戻る者も居ます。

 

仮面ライダーという名を冠しながらも、その枠にとらわれない物語とデザインは常に新たな作品と遊びを提供してくれているのではないかと思います。特にジオウを視聴した1年間は、その作品の幅ゆえにマンネリや中だるみを感じませんでした。

 

そんな『平成仮面ライダー』というコンテンツを浴びるように楽しんでいく中で、疑問に感じた事があります。

 

 

何故、異なる作品の仮面ライダーが共演することになったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 現行の『仮面ライダー』を視聴するのに並行して、触れていなかった約15年間の時間を埋めるかのように過去の作品を鑑賞していました。その中で様々な共演作にも触れてみました。それらの作品も手放しに楽しむ事ができたかといえば、そうではありません。

 

仮面ライダーが並ぶ映像は歴史の厚みが具現化したかのようで壮観ではあるものの、設定の整合性よりもその作品単体の勢いを優先した作劇が気になってしまいます。それぞれの作品が持っている雰囲気さえも一緒くたにされていて、作風という概念が消失したのかとさえ感じさせる。そんな集合作品の数々に戸惑いと驚きを隠せません。

 

もちろん共演作だからといって、それこそ一緒くたにして悪い印象を抱いているわけではありません。『平成ジェネレーションズ』3作はどれも面白かったし、特に『平成ジェネレーションズ FOREVER』は胸に響く内容であった事に疑いはありません。

 

mori2-motoa.hatenablog.com

 

 

 

 しかし、私が現在抱いている疑問はそういう事ではありません。私が抱いている疑問は「共演する事が想定されていないにも関わらず、共演する理由が何なのか。」という事です。

 

仮面ライダーW(ダブル)』以降、俗に言う平成2期の仮面ライダー達は、ビルドとジオウを除いて世界観を共有しているという設定があります。しかし共演する事をシリーズの主の目標ではないので、「共演する為の設定」というよりは「共演しやすくする設定」ではないかという印象を受けます。

 

 

 

  そもそもアニバーサリーだからといって、必ずしも共演するわけではありません。例えば、『ガンダム』シリーズは誕生から40周年を迎えましたが、宇宙世紀と西暦の世界が繋がった事はありません。仮に共演することがあっても、ゲームやプラモデルに限定されていて、時空を超えてキャラクター達が本当に会う事はありません。

 

一見必然性を感じられない共演を行う傍で、ヒーローが共演する事を前提・目標とした『マーベル・シネマティック・ユニバース』(以下MCU)というコンテンツが展開されています。世界観や設定を共有するだけでなく、各作品が『アベンジャーズ』という一つのゴール地点に向かっている事を考えられています。

 

そんなシリーズを10年以上も追っているが故に、強行とも言える仮面ライダーの共演の理由が気になって仕方ありません。

 

 

 

 そんな疑問を抱きながら『仮面ライダージオウ』を1年間追ってきました。勿論新しい仮面ライダーの活躍が楽しみでしたが、同時に自分の持つ疑問に対する答えが見つかるのではないかという期待感もありました。

 

この1年間、毎週のように登場するレジェンドライダー達の活躍に、自分を含め子供の頃に仮面ライダー観ていた人たちが一喜一憂してきました。

 

ジオウの干渉があっても在り方が変わらないライダーも居れば、テレビシリーズのラスト展開を覆す結果となったライダーも居ました。極め付けは、ジオウの世界に干渉して命を落とすという結果になってしまったライダーも出てきてしまった。

 

それぞれの作品の結末や余韻を変えてまで、『仮面ライダージオウ』ひいては仮面ライダーたちが共演をしてきた理由は何だったのか、答えを見つけるどころか更に疑問が深まっていきました。

 

 

 

 そんな状態で臨んだ最終話。世界は一つになる事なく『仮面ライダージオウ』という作品は幕を下ろしました。個々の作品を尊重したとも受け取れるラストに、自分の持っていた疑問に対するアンサーがようやく得られたかのように感じました。

 

更に、他の方の、特に結騎了さんの感想を読む中で、その思いを更に補完してくれました。引用させていただきます。 

 

www.jigowatt121.com

 

そんな『ジオウ』のメッセージとしては、シンプルに、「今を懸命に・大切に生きる」というものなのだろう。

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時計の針のように、未来と過去は紙一重なのだ。針が指した時刻は、過去の時刻でもあり、未来の時刻でもあり、今の時刻でもある。混濁する、幾重にも繰り返される時間。だからこそ大切なのは、「今」を大切に、必死に生きることにある。

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そして何より、「今」を懸命に生きてきたのは、他ならぬ平成ライダーというシリーズそのものなのだ。「今」の群れこそが、「不揃い」を意味する。先に公開された『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』は、これこそをテーマとして、大いなる開き直りを見せた。露悪的で、卑怯な、しかし絶対的に力強い主張。平成ライダーにしか作れない、稀有な一作であった。

 

 

 

まさに「今」という言葉が非常にしっくりきました。ただひたすらに「今」を生きるという積み重ねを懸命に行ってきたのが平成仮面ライダーなのだと。まさに時代を駆け抜けた平成仮面ライダー達。

 

 

 

 ここに来て考えさせられる事が、仮面ライダーは子供向けのコンテンツであるという事です。子供向けコンテンツに対する考え方をこの場で深く論じるつもりはありませんが、「子供向け」という言葉は「子供が最も楽しめるように制作されている。」というふうに捉えています。

 

誰しもが20作品を全てリアルタイムで鑑賞して来たわけではありません。むしろ、自分が子供の頃に放送していた仮面ライダーのみを視聴していた人の方が多いのではないかと思います。

 

そんな子供たちに向けて作品を作り出す時、未来を見据える必要は無いのです。それは作品の描くテーマとして未来を軽視するという事ではなく、今観てくれている子供たちが最も楽しめる事を考えて作品を作るという意味です。

 

 

 

 子供達が仮面ライダーに熱中していく体験を今の自分に当てはめると、MCUの体験がまさにそれだったのではないかと思います。私がMCUに熱中するようになったキッカケは、数年後に訪れる共演作が楽しみだったからではなく、その時その時の「今公開している作品」が面白かったからです。一作目が面白かったから二作目も見たい、今回も面白かった、じゃあ次も。そして気付いたら数年先の作品が楽しみになっていました。

 

子供達にとって一年という時間は大人にとっての一年よりもずっと長い。だから、「今面白い。」という事実は更に大きくなります。今が面白くなければ、「次なんて無い。」です。

 

子供には忖度は通じません。今の自分を含め大人となっても特撮を楽しんでいる人は、ある種の忖度をしている。出演者や製作者が、テレビや劇場での公開に至るまでの過程における苦労を、メイキングやインタビューで知る。それは苦労の一端でしかないと思うが、多かれ少なかれ、作品の描写に対してポジティブに解釈しようとする姿勢を強めている事は否めません。

 

子供たちは違います。そういう製作者たちの事情や苦労は一切知らない。だからこそ、出し惜しみをしていては興味を失っていく。

 

 

 

 しかし、知らないからこそ、大人にはできない楽しみ方をします。それこそが共演です。子供にとって、権利などといった所謂「大人の事情」というものは関係ないどころか存在しません。仮面ライダー同士だけでなく戦隊ヒーローとの共演はもちろん、ウルトラマンとも共演させます。

 

現在「スパイダーマンマーベル・シネマティック・ユニバースから離脱するのか否か。」という問題でファンが一喜一憂する事態となっていますが、子供たちにとっては関係ない。子供たちがフィギュアなどで遊ぶ時、スパイダーマンはこの先もドクター・ストレンジブラックパンサーと共演し続けるし、もしかしたらキャプテン・アメリカと再び戦っているかもしれないし、アイアンマンが復活してるかもしれない。それどころか、権利や会社や国を超えて、その中にウルトラマン仮面ライダーがいるのかもしれません。

 

子供の想像力は「大人の事情」軽々と超えていく。

 

ウルトラマンVS仮面ライダー[菊地寿幸][Laser Disc]

 

 

 

 そんな子供たちに向けて大人がコンテンツを発進する時、求められる物は一体なんなのでしょうか。それはきっと、子供と同じくらい「本気の姿勢」を持つ事ではないかと私は思います。

 

エンドゲームの後の世界にアイアンマンが登場?

アメリカのヒーローと日本のヒーローが共演?

 

「それはありえない。」と思うかもしれません。しかし、子供たちにとってはありえないことがありえないんです。どんな国でも、どんな会社でも、どんなシリーズでも、そこにフィギュアがあるだけで、ヒーローたちの世界は繋がるんです

 

 

 

 

 

 

 

 『仮面ライダージオウ』がひいては平成仮面ライダーシリーズというコンテンツがやろうとした事は、そんな子供たちの想像力に大人達が全力で応える事だったのではないでしょうか。異なる作品の仮面ライダー同士の共演は、その結果の一つだったのではないでしょうか。

 

他でもない子供たちが、仮面ライダー達に世界を超えさせた。

 

仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER メドレー D.A. RE-BUILD MIX

 

 

子供たちの想像力という、これ以上にない壁に「共演」という形で立ち向かおうとしたのが平成仮面ライダーたち。そう考えると、『仮面ライダージオウ』がこの一年間を走り抜けた事実を祝わずにはいられない。世界をも超えたその出会い、物語に、最大の賛辞を送りたくなりました。

 

それを経て始まる令和仮面ライダー『ゼロワン』。新しい時代の仮面ライダーは、子供達の想像力にどのように応えていくのか、今から楽しみです。