モリオの不定期なblog

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『劇場版ウルトラマンZ ご唱和ください!我らの名を!』への夢想。<ウルトラマントリガー エピソードZ/感想>

Zライザー「TAIGA!TITUS!HUMA!」

 

ハルキ「ゥオオオッッッッッッッス!!!!!」

 

Z「ご唱和ください!我らの名を!!!

  ウルトラマンズェエエエエエエエエッッッッット!!!!!」

 

ハルキ「ウルトラマン!!!ゼーーーーーーーーッッッッット!!!!!」

 

Zライザー「ULTRAMAN Z!EPSILON STRIUM!」

 

(約十秒間 沈黙とZの姿を収めるカットの数々)

 

ご唱和ください 我の名を!

ご唱和ください 我の名を!

  • provided courtesy of iTunes

 

ウルトラマンZ』の放送終了後、定期的に繰り返される劇場版の夢想。初めから劇場版は予定されてなかったからこそのテレビシリーズ終盤の出し惜しみを感じない展開と幕引き。だかれこそ、劇場版が無いことに対して不満はありません。それはそれとして、劇場版というifをシミュレーションすることは楽しいのです。

 

口上を引用したサブタイトルとか、Zの偏差値の低さが露呈してしまうトライスクワットとのやりとりとか、タイガスパークに興味津々のユカさんとか、特空機をはじめストレイジの規模大きさに驚くヒロユキくんとか、皆んなの前に姿を現しそうで結局現さないけど良い塩梅で暗躍してくれるジャグラーとか、暗躍の形跡からヘビクラ隊長の手助けを察するストレイジの面々とか、諸々のやりとりから再確認するタイガ勢の絆の盤石さとか。

 

自分の頭の中で完結する夢想、テレビシリーズという有終の美が侵されることのない夢想。そんな夢想の一部が現実にしてくれるかもしれないのが『ウルトラマントリガー エピソードZ』です。『ウルトラマントリガー』のテレビシリーズの後日譚であり、『ウルトラマントリガー』の終わりのエピソードとなる一編。同時に、ウルトラマンZとの共演でもある本作。

 

主であるのはウルトラマントリガーでありながら、ウルトラマンZから話を始めるところからお察しいただけるかと思いますが、熱量が高いのはどちらかと言うとZの方です。そもそも『ウルトラマントリガー』は自分にとってリアルタイムでは初めてのウルトラマンである『ウルトラマンティガ』が25周年であることを大いに意識して作られた作品です。「リメイクなのかリブートなのか続編なのか。ティガが姿を変えた存在なのか。」という思考の海に身を沈めていたせいか、なんとなく作品に対して一歩引いた目線で観ていました。テレビシリーズで特に楽しめたエピソードもウルトラマンZが登場した第7・8話とウルトラマンリブットによるウルトラギャラクシーダンスが繰り広げられた第14・15話、そしてウルトラマンティガが顕現した第19話と、所謂客演エピソードと呼ばれる回でした。

 

対して『ウルトラマンZ』はニュージェネレーションシリーズと呼ばれる近年のウルトラマン作品の中で最も没入して楽しむことのできた作品です。特撮作品という枠を超えて、映像作品としても自分の中で上位に入ります。時勢の影響で仕事が大変だった時にとても勇気付けられたことも相まって、思入れの強い一作です。

 

mori2-motoa.hatenablog.com

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そんな訳で『エピソードZ』は『ウルトラマントリガー』の終わりのエピソードというよりは『ウルトラマンZ』の新しいエピソードとして楽しみにしていました。そうして観賞したのですが、結果はあまり心穏やかなものではありませんでした。

 

 

 

 (以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 色々言いたいことはありますが、特に気になったのはZとハルキの扱いです。Zとハルキ、彼らは二人で一人のウルトラマンであり人格は別なのですが、その良さが全く生かされていないと思いました。Zが一人で話す場面は殆どなく「どうしたハルキ?」とか「頑張れハルキ!」など、ガヤの範疇を出ない台詞ばかりで、仮に人格が一つだったとしても物語が成立してしまうほど、Zの存在感が非常に薄かったです。

 

テレビシリーズでは人格が二人だからこその作劇を存分に活かされていて、そこが『ウルトラマンZ』を最高にしていた要素の一つです。例えば、上記の記事でも書きましたが、必殺技の時の掛け声です。必殺技の名前を叫ぶZ、気合の掛け声を叫ぶハルキ。本来別々の存在であった二人を象徴するかのような、分担された掛け声ですが、最終話の、最後の一撃では、必殺技も気合の掛け声も、二人で叫びます。ハルキと同じように「チェストォオオオ!!!」と言っているのだろう、今までに聞いたことのないようなZの唸り声が、光線を放つ刹那にZの顔にハルキの顔が重なって見えたのと同じくらいの感動と興奮の渦が生まれていました。(そして駄目押しのように繰り出されるZ字型の光線。)

 

人格が別であるが故に繰り出せるやりとりやドラマがあった筈で、それが皆無だったこと残念で仕方ありません。『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』におけるウルトラマンXは、変身アイテムを解体されそうになったり、「ガイさん=オーブ」をうっかりバラしそうになったり。別の作品という新風が吹くことで生まれるやり取り、客演の魅力がその作品ではありました。

 

それは『ウルトラマントリガー』テレビシリーズの第7・8話でやっていて、新しい変身アイテムの使い方が分からず誤射をするハルキと足を怪我するZという、まさに客演ならではの新たなやりとりがあったわけです。だからこそ、今回のZの存在感の薄さはとてつもなく気になってしまいました。

 

今回のZの扱いへの不満は『ウルトラギャラクシーファイト』『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』におけるウルトラマンXの扱いにも通じるものです。上記二作品では、Xは一言も喋らないどころか、掛け声すらもう一人が代替していました。まるでXは傀儡になってしまったのかのようで、その違和感が最後まで拭えませんでした。今後もそういう扱いになるのであれば、人格が別れているタイプのウルトラマンはやめるべきではないかと思ってしまいました。(もしくは、『ウルトラマンタイガ』のように別れるエンドか。)

 

もう一つの不満点は、『ウルトラマンZ』のテレビシリーズで倒した相手に逆に一矢報われることです。しかも後輩ウルトラマンであるトリガーに助けられるという先輩ウルトラマンの面目丸つぶれの状態になってしまいます。Zとハルキのキャラからして必ずしも後輩を引っ張っていく必要はないですが、(と言いつつ先輩風を吹かせてくれると感激する。)足を引っ張って欲しくなかったです。『ウルトラマントリガー』のテレビシリーズ第7・8話のように、背中を見せるだけで後輩ウルトラマンの指針になりうるような先輩ウルトラマンとしての風格を見せて欲しかった。

 

 

 

ウルトラ特撮 PERFECT MOOK vol.40ウルトラマンZ ウルトラ特撮PERFECT MOOK (講談社シリーズMOOK)

 

 

 

 他にも破れかぶれで登場するデストルドスへの落胆や、Zがやってくる理由なんて「ガッツスパークレンスを返しに来た。」でもいいだろいうという思いや、いろいろ気になることはある訳ですが、別世界のウルトラマンが共演することで生まれる化学反応を魅せて欲しかったことに尽きます。今後の先輩後輩ウルトラマンの共演が、形式的なもの以上の価値を生み出してくれることを祈っております。