ツイッターの自己紹介欄にセルルック3DCGが好きだと書くくらいにはセルルック3DCG好きのモリオ です。
「手書きアニメーションの質感を3DCGによって表現する。」この題目に対して様々な会社がそれぞれ異なるアプローチで挑戦しています。その結果生まれる新しい映像の数々が、とても新鮮で見応えがあるわけです。思えば、自分がブログを始めて最初に書いた映画の感想記事はアニメ版の『GODZILLA:星を喰う者』でした。
アニメ版ゴジラ3部作のアニメーション制作を担当したのはポリゴン・ピクチュアズという会社です。アニメ『スター・ウォーズ レジスタンス』『トランスフォーマー プライム』を制作、セルルック3DCG作品だと『シドニアの騎士』『亜人』『BLAME!』『GODZILLA』を世に送り出してきました。他にも『METROID Other M』『ストリートファイターⅤ』などのムービーも制作しています。(制作していたことを知って驚いたのは『Showbiz Countdown』)
自分にとって「間違いない。」と全幅の信頼をおいている制作会社ですが、そのポリゴン・ピクチュアズの最新劇場アニメーションが『HUMAN LOST 人間失格』です。
そうあの『人間失格』です。太宰治の代表作である『人間失格』です。しかもただアニメ化するのではなく「SFダークヒーロー」にするというのだから驚き。
しかし私にとってそのことは、良くも悪くもあまり気になりませんでした。『人間失格』の内容を大まかに理解はしていても、じっくりと読んだことがありません。なので私にとってはあくまでポリゴン・ピクチュアズの最新作として非常に楽しみでした。
『シドニアの騎士』や『BLAME!』では遠未来の世界、『亜人』では人としての一線を超えた死闘、『ゴジラ』ではアニメーションの世界に降り立った怪獣王。ポリゴン・ピクチュアズはこれまで様々な映像で魅せてきてくれました。
そして次に描くのがダークヒーロー。観に行かない理由がありません。
(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)
セルルック3DCGのアニメーションが好きなのは、自分の認識が手書きと3DCGの間を行ったり来たりするかのような体験があるからです。手書きのアニメーションのようにも見える3DCGを観るうち、手書きと3DCGの境界が曖昧になっていく。自分の認識が揺さぶられる感覚をセルルック3DCGは生み出してくれます。
二次元のようにも見える三次元という矛盾しているように思える表現。しかし本作ではそれを見事に成立させ、今までに無い新鮮なものになっています。
手書きによる二次元の表現において、斜めに人の顔が映る時は顔の輪郭や目と鼻の位置関係が立体としては成立しなくなります。(必ずしもそうではありませんが。)だからこそ3DCGで表現する時には、色味などの質感は寄せることはできても、どうしても体のパーツの配置感が手書きのアニメーションには近づけることが難しい。
むしろ手書きのアニメーションの質感になまじ似ていることで、立体的には正しいはずなのに違和感が生じてしまう。セルルック3DCGアニメにおける難題の一つではないかと、観る側なりに感じています。
しかしその違和感は、本作では全く感じません。
まず本作で度肝を抜かれた点は「パーツの配置」です。そもそも日本の手書きアニメーションにおいて、様々なものは立体的には正確ではありません。嘘があります。目と鼻の位置関係、腕の長さ、アニメーションで描かれる様々なものは、シーンに応じて形が変わり立体的には不正確であったり曖昧になります。
しかし、立体的には不正確でも説得力を生むどころか、寧ろ表現として外連味や勢いなど、独自の魅力に昇華してきたのが、日本の手書きアニメーションだと思っています。
立体として成立しないパーツの配置にし、時には輪郭さえも曖昧にする。そうすることで、表現のメリハリや速さを表現する。崩すことにこそ魅力を見出してきました。
だからこそ、セルルック3DCGの表現は難しい。立体としてできてしまっているキャラクターや物を崩すことは容易ではありません。その制約の中で、いかにして手書きの質感に寄せていくのか。加えて、寄せていく手書きのアニメーションにも作品によって質感は異なります。
そんな中で、立体である事を活かして手書きに寄せつつも手書きにはできない表現を付与する会社があれば、とことんまで手書きに寄せて並べても遜色ない質感にする会社もある。
ポリゴン・ピクチュアズはどちらかというと、前者の印象です。あくまで3DCGによる表現をベースにしつつ、手書きのアニメーションの質感を細部に施していく。表現する物によっては寧ろ写実的な質感を入れている。(アニゴジや亜人など。)
そんなポリゴン・ピクチュアズが最新作『HUMAN LOST 人間失格』では、前者や後者の分類すら超越したレベルにまできたように思います。
本作ではそのパーツの配置感が、手書きアニメーションのそれなんです。特に下の載せた予告編の30秒の竹一と44秒の柊美子。口と目と耳、そして輪郭。それらの並びが実に手書きアニメーション的。前述した違和感が無いんです。
手書きアニメーションの遺伝子が、その映像には流れている。
更に、忘れてはならないのがカメラワーク。メリハリとハッタリの効いた見栄が決まったと思ったら、カメラが被写体の後ろにぐるっと回り込む。これがたまらなく気持ち良い。
一つの方向から見ることを考えて作り出す映像の嘘。観る人間にとって手書きアニメーション特有の気持ち良いハッタリの効いた画。そしてそのままシームレスに移行する立体的なカメラワーク。
一つの方向から見ることを想定した見栄と立体的なカメラワーク。その両立によって生まれるのが、これまでにないくらいのメリハリと緩急の効いたアクションシーン、そして臨場感です。これが実に素晴らしい。
セルルック3DCGを初めて観た時から思い描いていた理想の一つが、本作の中には広がっています。
本作のアニメーションで驚いた点はもう一つ。キャラクターの感情表現です。これまでのポリゴン・ピクチュアズでは、時に役者の演技に負けている事は否めないと感じる瞬間が少しありました。しかし、本作のキャラクターの表情は負けていなかった。
特に心揺さぶられたところは、葉藏と美子が思いをぶつけ合う場面です。父親を殺めてしまった事実を思い出し悲しみにくれる葉藏と、それでも「進むしかない。信じるんです、未来を。」と涙ながらに諭す美子。
記号的な表現を超越したキャラクターの演技が本作の魅力の一つであり、前述の場面は本作のハイライトの一つであることは間違いありません。
手書きのアニメーションのような見た目でありながら、3DCGならではの立体的なカメラワークの実現。セルルック3DCGを初めて観たときに自分が思い描いた理想のアニメーションの一つが、本作にはありました。
だからこそ本作は心底好きですし、ポリゴン・ピクチュアズの次回作が今から楽しみで仕方ないのです。
本作の主題歌MV。本編のシーンが多数確認できる。