既に人気を獲得しているコンテンツの劇場作品。人気であるが故に「期待」というハードルが存在します。「このキャラクターの活躍が観たい。」「こういう表現が見たい。」など、様々な部分での期待されます。つまりは、そのコンテンツが人気を獲得するまでに作られてきた作品に観客が感じた良さが、殆どそのまま作品のノルマとして課せられているのではないかと思います。
そんな越えるべきハードルが沢山ある作品が『劇場版 Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット- 前編 Wandering; Agateram』です。こうやって書いてみると長い…舞台挨拶でも少しネタにされる訳です。
もしアニメを観ていれば名前くらいは一度は聞いた事があるであろう人気の『Fate』シリーズ。パソコンでプレイするビジュアルノベルゲームだった作品が、アニメ化に留まらず様々な媒体で数多くの派生作品が作られてきました。つい最近ではその人気の高まりを象徴するかのように、シリーズの原点と言われる『Fate/stay night[Heaven's Feel]』が劇場アニメとして公開されました。
そんな派生作品の1つとして世に送り出されたのが『Fate/Grand Order(フェイト グランドオーダー)』(以降、FGO)です。2015年に配信され2020年12月現在は5000万ダウンロードを突破した人気ソーシャルゲーム。その漫画やアニメが作られ人気を博している本ゲームの中でも人気を加速させたエピソードを劇場アニメ化した作品が『劇場版 Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット- 前編 Wandering; Agateram』(やっぱり長いので以降、劇場版FGO前編)です。タイトルからも分かるとおり、前・後編合わせての二部作のうちの1作目。
派生に派生を重ねた末に生まれた本作、コンテンツが十二分に熟してきた今に公開される本作は果たしてどうだったのか。『Fate/Zero』以降、アニメーション作品を中心にシリーズを追いかけ、FGOをほぼ無課金でプレイしている自分も、意識的にも無意識的にも大小様々なハードル設定しつつ観賞してきました。
映像化への期待
本作のようなアニメ化において、期待されることの一つは、「映像化により動くこと」です。その点において本作はどうだったのか考えてみたいと思います。
原作ではストーリーは登場人物の会話や独白を文字で見せその背景にキャラクターを表示していく紙芝居方式で描かれます。と言っても、全ての場面に合わせた絵が用意されているわけではなく、基本的には登場キャラクター達の立ち絵が並んでいるだけなので、人形劇に近いです。表現が限られる中でも、文字の大きさや色、文字を見せるタイミングなど、巧みな演出により読み手を物語に引き込んでくるところがビジュアルノベルの魅力です。
その事は重々承知した上での話なのですが、物語を追い状況をイメージしていく中で「動いてる映像で見てみたい。」と思ってしまうのが正直なところ。そんな願望に答えてくれるアニメ化は、それだけでも一見の価値があるわけです。
しかし重要なのは「どう動くか。」という事です。Fateシリーズにおける映像化において、『劇場版 Fate/stay night[Heaven's Feel]』(以降、劇場版HF』)という一つの正解が提示されたことは記憶に新しい。FGOに限って考えても、既にテレビアニメを始め何度もアニメ化されており、それも作品毎にスタッフも異なれば、アニメーションへのアプローチも異なります。様々な「アニメ化」がある中で、観る人それぞれに理想的な「アニメ化」が形作られている訳です。その前提がある中での今回の劇場アニメ化。観る人それぞれに「この作品の感じで。」という理想があります。
「この感じで劇場アニメ化してほしい。」と願い続けて早1年以上が経ちました。
以上を踏まえた中で、今回の劇場版はどうだったのかというと、動いていたが動いていなかった。
立体的なカメラワーク
「一つの正解」と前述した劇場版HFのアニメーションにおいて特筆すべき点は、手描きのアニメーションを主軸としながらも、CGを用いる事による情報量の増加と立体的なカメラワークです。CGにより立体的な情報を増やしながらも、その中で二次元の手描きのキャラクターを違和感なく動かしています。
観客の視点たるカメラとキャラクターの位置関係を固定するのではなく、カメラがキャラクターに回り込むなど、キャラクターは動かずとも見える角度が変わるようなカメラの動きが充実しています。純粋にキャラクターの動きだけではなく、それを見る角度の変化もまた、アニメーションにおける大きな「動き」として取り込んでいます。近年は特にその部分に対する評価の力点が強くなっている気がします。アニメ版『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』など、人気作品はカメラの立体的な動きが多い傾向です。
ただ闇雲にカメラを動かすことが良い訳ではありませんが、元々二次元であるが故に、立体的に動いたり見えたりする事は実写以上に驚きや楽しみを与えてくれます。
被写体の生々しい動きに注力したアニメーション
被写体たるキャラクターは動いていたのですが、カメラの動きは少なかった。キャラクターに回り込むような動きなど立体感のあるカメラの動きは少ない分、キャラクターを丁寧に動かしていく方向性です。それは同じFateシリーズのアニメでいうと『Fate/Zero』に近い方向性だと思いました。
決して動きが派手ではないが、その代わりに一撃の重さが伝わってくる動きと音。それによって命のやりとりをしている生々しさが浮き彫りになる。『Fate/Zero』が本シリーズに触れた最初の作品だった自分にとっては、懐かしくも好みの方向性です。
そんな生々しさを一層引き立ててくれていた要素が、各サーバントのクラス(戦闘スタイル)で生まれる有利不利です。遠くから打ってくる弓に対して剣は不利だけど、逆に距離を詰めると有利に転じる。でもその認識の裏をかいて、逆に弓の方から距離を積めて接近戦を仕掛けたり。そういう駆け引きの演出、各キャラクターの戦闘スタイルの差別化がとてもよかった。特に印象的だったのがモードレット。剣を投げて相手が受け止めたら、投げた剣ごと相手を蹴るなどという滅茶苦茶なパワープレイは、正に戦闘スタイルの差別化によって引き立った戦闘の一つです。
成熟したコンテンツ故の新鮮な表現
本作独自の表現もありました。原作はじめFateシリーズにおいて、サーバントが消滅する時は、光の粒子になって煙のように消えていきます。それに対して本作は違う演出で表現してます。カットが切り替わり次の瞬間には跡形も無く消えており、足跡のみが残っている演出がされていました。
消滅の仕方が定着している中で、今回のような消滅の演出はより一層喪失感を与えてくれるもので、とても印象的でした。本作は動的な表現は抑え気味である一方で静的な表現や演出がとても心に響きます。消滅シーンの前のあるサーバントの宝具使用の場面も、盛り上げていく方向ではなく、心がじんわりと染められていくような静かな感動がありました。
原作にはない魅力と視点
原作にて定着したプロットや表現があることによる魅力も感じる一方で不満もあります。単純に尺が短い。主役たるベディビエールの心情の変化が感じ取れません。本来はプレイヤーの分身たる主人公がいる中でベディヴィエールを主役にしたのであれば、原作プレイ時には分からなかったベディヴィエール細かい心情の変化を観賞前は期待をしていました。しかし、その期待に答えてくれたかというと、そうとは言い難い。
定着したコンテンツ故、「ある程度理解できる。」という認識に則った構成なのではないかと思われますが、原作のゲームで今回のエピソードがリリースされたのは数年前。正直なことを言うと、ストーリーの詳細を覚えていません。観賞前に振り返りをしてなかったのが悪いと言われてしまうとそのとおりではありますが、上映時間の短さを思うと「ああ、そんな話だった。」と思わせてくれる様な丁寧さが欲しかったし、それにプラスαで新しい魅力や視点を提示してほしかったです。
後編への期待
定着したコンテンツ故のハードルに苦戦を強いられながらも、定着したコンテンツだからこその魅力もあった本作。本エピソードのラスボスたる獅子王との戦闘が後編ではどのように描かれるのか、とても楽しみです。