モリオの不定期なblog

映画・特撮・アニメの感想や思った事を書きます。宜しくお願いします。

現実に肉薄するアニメーションの顕現。アニメーションの未来を切り開く絶望の三部作の幕開け。<機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ・感想>

 平面が立体に、二次元が三次元に、画の連なりが映像に。物理的には存在しない物への立体感と質量の付与、それを実現する技巧と技術、挑戦それ自体が見応えと魅力に転じる。アニメーションの特徴であり強みです。本物に近づけることを志向しながらも実写になることはない、だからこそ、リアルか否かという尺度に囚われない楽しみ方ができます。情報量を増やすことで実写に肉薄しながら、実写とは全く異なる質感や構図でアプローチする。「まるで実写(本物)のよう。」の「実写では観られない。」の両立、物理的には存在しない表現方法だからこその魅力です。

 

そんな魅力を体現した作品が『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』です。一作目『機動戦士ガンダム』の放送開始から40年以上も継続し映像作品に限らない様々な展開がされている人気シリーズの最新作。かつて戦いを繰り広げたアムロ・レイシャア・アズナブル。その二人の背中を見た青年、本作の主人公であるハサウェイ・ノア。地球連邦政府を相手にテロを行う彼の姿を本作では描いています。

 

HGUC 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ペーネロペー 1/144スケール 色分け済みプラモデル

 

ガンダムシリーズのメインストリームである宇宙世紀。そこを舞台とした物語の最新作というだけではなく、『機動戦士ガンダム』の生みの親である富野由悠季さんが執筆した小説を原作とした本作。そして何より、本作を監督するのが『虐殺器官』の村瀬修功さんという事実が、作品への期待値を大幅に高めます。実際にカメラで撮ったかと錯覚する映像の数々、実写ではないのに引き出される生々しさと臨場感。「このアプローチで作られたガンダムが観てみたい。」と思わせられる魅力に溢れた作品が『虐殺器官』でした。

 


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一見の価値ありの作品ですが、テーマは重く又グロテスクな描写が有るので、観賞の際はご注意を。

 

実写に肉薄しない、立体的に嘘をつくことで発生する表現の余地。そこにメリハリと見栄を差し込むことで、嘘を魅力に転じさせる映像。

実写に肉薄する、立体に忠実にすることで増加する表現の情報量。手描きであるはずなのに実際に撮ったかのように見える映像。

どちらの場合であっても、そもそも本物ではないと一目で分かるからこそ、それが本物のように動いているように見せる技巧・技術自体が見応えと驚きを生んでくれる。

 

実写に肉薄することは、SFの世界のような荒唐無稽なものにリアリティや説得力を与えてくれます。ロボットアニメと特撮の魂をハリウッドの映像と愛で具現化してくれた『パシフィック・リム』、ヒーローという存在を世界観の構築から説得力を生み出してくれたマーベル・シネマティック・ユニバースや『ダークナイト』などがあります。

 

自分にとって好きな作品が「現実でもあり得る。」と一瞬でも思わせてくれる。夢や空想の世界の肯定、それこそがリアルか否かという尺度から解放されながらも、実写のような質感のアニメーション作品を渇望する理由の一つだと思います。(本当にその世界になって欲しいかどうかは、また別の話です。)

 

既存の作品には説得力が無いということではなくて、SFなどのような、現実にはない世界が描かれた作品を観た時、「現実だったらどんな風に見えるんだろう。」と考えてしまう癖のようなものです。期待や渇望はそういった考えが蓄積した結果によるものです。だからこそ、長く続いたシリーズ(長く触れてきたジャンル)であればこそ、その渇望も強くなるのだと思います。

 

幾度となく想像したモビルスーツと呼ばれる巨大ロボットが存在する世界。『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』という映画は、如何にその世界を顕現させ、「現実でもあり得る。」と思わせてくれるのか。非常に楽しみにしておりました。

 

2018年末の時点で「Next Winter」と発表しながら知らぬ間に2020年7月公開になり、更には新型コロナウイルス感染症の影響で最終的に2021年6月まで延期した本作。(感想書くと言いながら、いつまで経っても書き終えなかった自分のことを棚にあげる。)『虐殺器官』の時と同様、度重なる延期を重ねた本作が見せてくれるガンダムの世界は一体どんなものか。公開初日、餓死寸前の状態で劇場に行ってきました。

 


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(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 上に立っただけで建物を壊すほどの重く硬い巨体。その巨体を飛ばすための噴射で燃える木。その巨体が放った熱の塊で溶ける町。外れた弾、落ちる銃、殴り合う機体。その全てが人の何十倍も大きいが故に、その全てが災害となって人々に襲いかかる。

 

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[Alexandros] - 閃光 (English ver.) - Animation MV - YouTube より

 

眼前で繰り広げられる惨事とは裏腹に昂る気持ち。悲しいのか嬉しいのか、判別がつかないほど強い情動。

 

ディテールを突き詰めた果てに顕現するモビルスーツが存在する世界。それは紛れもなく、自分が渇望していた「実写に肉薄したロボットアニメーション」そのものでした。その世界で紡がれる物語もまた、実写に肉薄するからこそ生まれる生々しさがあり、その生々しさが主人公ハサウェイ・ノアを物語ることに付与していたことが素晴らしかったです。

 

実写への肉薄、それによって語られる物語、この2点について書き記しておきたいと思います。

 

 

 

 実写みたいな映像というと情報量の多い映像だと思うのですが、映像のどういった部分に情報量の多さを感じるのか。それは立体的なカメラワークです。当然、実際にカメラで撮影しているわけではありませんが、画面を構成する被写体の動きが観る側にカメラの動きを錯覚させます。擬似的なカメラの動きのことを便宜上カメラワークと呼びますが、そんなカメラワークを立体的に感じることができる、画面に移る被写体とそれを見ている自分との間の距離を感じられる、自分(カメラ)がその作品(空間)の中の何処に立っているのかが分かる。今の回り込みは自分(カメラ)が回り込んだのか、それとも被写体自身が回ったのか。それが判別できること、被写体の動きと自分(カメラ)の動きが分離されていること、それが自分にとって実写みたいな映像だと感じる基準の一つです。

 

カメラが少し動けば、映るものも少し変わる。建物の陰に隠れていた部分が顔を出し、逆に写っていた部分が陰に隠れる。立体的であれば当たり前のことを3DCGを活用して高い精度で表現することで立体感を出しています。

 

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[Alexandros] - 閃光 (English ver.) - Animation MV - YouTube より

 

背景美術が立体的に動いているように見せる「カメラマップ」という手法を用いることで、絵が立体的に動くだけではなく、手描きのキャラクターとも馴染んで違和感がありません。

 

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』予告1 - YouTube より

 

実写にはないアニメーションの利点は、物理的には存在しない物であるため、狭い場所でも物理的な制約にとらわれない点です。立体的なだけではなく、狭い空間でありながら、カメラワークとアクションをダイナミックにしており、コックピットの外で繰り広げられるモビルスーツのアクションから乖離せず、躍動感と臨場感をコクピットの狭い空間でも実現しています。

 

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』予告2 - YouTube より

 

本作で登場するガンダムは元々映像化を想定していないデザインであり複雑であったため、作画で動かすことは非常に難しかった。しかし、3DCGを用いることでそれをクリアするだけではなく、複雑でダイナミックなアクションを実現しています。

 

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[Alexandros] - 閃光 (English ver.) - Animation MV - YouTube より



 

 実写に肉薄したアニメーションが浮き彫りにするモビルスーツと人のサイズ感の違い。本作が素晴らしいのは、サイズ感の違いを、登場人物の内面を描くことに大きく寄与していることです。

 

サイズ感の違う人型といえば、特撮ヒーローのウルトラマンが思い出されます。自分よりもずっと小さい人を守る存在。存在の大小を問わず助けてくれるヒーロー。その精神性を可視化してくれるウルトラマンの大きさ。それが、ウルトラマンという作品が好きな理由の一つかもしれません。

 

人が持つ視点のスケール感の違いを、モビルスーツと人のサイズ感の違いで表現しています。

 

ハサウェイとタクシーの運転手との会話から感じられる温度感の違い。ずっと先のこと、大局を考えて行動しているハサウェイと、今日明日を生きるのに必死で明後日のことを考えらないというタクシーの運転手。

 

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[Alexandros] - 閃光 (English ver.) - Animation MV - YouTube より

 

非人道的な政策である「人狩り」を実行するマンハンターをどうにかして欲しいとタクシー運転手は言う。その差し迫った問題の根幹にある腐敗。それを正そうとしているのがハサウェイ達なのに、それが伝わらない。「暇なんだねぇ。」「学があり過ぎるんですよ。」と言われてしまう始末。

 

それでも既存の体制・仕組を変える方法を見出せないが故に、武力に訴えるしかないハサウェイ。そんな彼の行動を理解、とまでは行かずとも、そこに「清廉さ」を見出してくれるのが敵であるケネスのみという皮肉。強く訴える手段であるはずの「武力」が、その強さ故に本来の主張を霞めてしまう。1000年先のことを考えた主張が、刹那的な暴力に矮小化されてしまうという本末転倒。

 

テロリズムの虚無感や徒労感を徹底的に描かれる本作。表出した問題をどうにかしても根本的な解決にはならない、かといって、その根本的な解決に肉薄するには、それ自体が問題に捉えられてしまうほどの強い手段を用いるしかない。その現実を受け止めて行動を起こすハサウェイの姿を描いているのが本作であり、そんな刹那さが『閃光のハサウェイ』というタイトルに内包されているように感じます。

 

連邦政府の腐敗や人々との断絶、世界に存在する歪みが集約されていると言えるのが、主人公のハサウェイです。そんな彼の歪みが顕在化しているのがダバオでの戦闘シーン。先のことを考える者たちと瞬間瞬間を生きている者たちの対比を、モビルスーツで戦う者たちと戦いに巻き込まれる者たちの対比によって可視化しています。

 

しかし、ここでおかしいのは、戦う側であるハサウェイが、何故かダバオ戦では戦いに巻き込まれ、街の人々と一緒に逃げていることです。戦う側とそうでない側の決定的な断絶を描きながらも、そうでない側にいるハサウェイの矛盾。彼の内面が如何に壊れているのかが感じられる場面の一つです。

 

歪んだ精神を抱えたハサウェイがガンダムに乗り込み、ペーネロペーが戦う終盤。ハサウェイが乗るΞ(クスィー)ガンダムもまた、ハサウェイの歪んだ精神、矛盾した内面を表しています。

 

ハサウェイは、アムロ・レイシャア・アズナブルの二人の姿を見ていますが、前者は胸部にコックピットがある機体に、後者は頭部にコックピットがある機体にそれぞれ乗っていました。そしてハサウェイが乗るコックピットは何処かというと、"頭部のようなデザインの胸部"です。特徴的な黄色いアンテナ、額と口の赤いパーツ、ガンダムの頭部を想起させるパーツが配置されています。

 

ハサウェイ自身はアムロのような在り方を志向しているが、実際は、シャアのやり方に沿っている。そんな彼自身の内側と外側の乖離を表しているように感じられるデザインになっています。

 

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』予告2 - YouTube より

 

ちなみに、Ξ(クスィー)ガンダムのデザインは、劇場公開まで伏せる予定だったとのこと。確かに、ペーネロペー戦で顔が明らかになるまでのシーンは、胸部が頭部であるかのようにミスリードさせる意図を感じます。

目指したのは“脱ガンダム”『閃光のハサウェイ』Ξガンダムデザインの裏側|シネマトゥデイ

 

これほどまでに断絶と閉鎖感を感じさせる状況であり、また自身も大きな歪みを抱えながらも、それでもガンダムに乗り込み戦う。これまでのガンダム作品には感じたことのない切なさが今回の初陣にはありました。

 

 

 

 現実味を感じさせるほどの圧倒的なディテール。そこで描かれる生々しい人間と社会の在り方。その先にあるガンダムの初陣は、これまでのガンダムシリーズでは感じたことのなかった手触りのものになっており、この先に待ち受ける結末への不安を煽るものになっていました。

 

モビルスーツのいる世界を視覚的にだけではなく、その閉鎖感も含めて現実に肉薄してみせた本作は、間違いなくガンダム作品の中でもベストの一作です。残り二作品がどのような作品になるのか、とても楽しみに、そして気長に待とうと思います。