スター・ウォーズは自分にとって過去の作品です。自分が物心つく前から存在し、多くの人を熱狂させてきたコンテンツ。エピソード1〜3が公開された時は自分が映画というコンテンツ自体にハマる前で、そこまで記憶に残っていません。
そんな自分にとってスター・ウォーズの再始動は、かつて映画ファンが味わった体験と熱狂、その一端を感じる事の出来るまたとない機会でした。
続三部作と呼ばれたものの中の一作目『フォースの覚醒』。かつて公開された作品に寄り添いつつ新しい要素で作品を引っ張っていく。懐かしくも新しさを兼ね備えたであろう続三部作の一作目。加えて最速上映の実施など、一つの映画の公開という枠を超えた一大イベントのような展開がされました。
いつもとは明らかに違う空気をまとった映画館のロビー。そんな空気を感じてか、いつもよりも長く感じる上映開始までの時間。上映が終わり明るくなる前から場内に響き渡る拍手。「感動の共有」という唯一無二の体験は、昔からのファンに対する憧れともいえる自分の思いに作品が応えてくれたように思いました。
その体験から2年後に公開された『最後のジェダイ』。挑戦的に思える物語に戸惑いと興奮が入り混じったものを感じ、上映終了後に場内に漂っていた空気は『フォースの覚醒』とは全く異なるものでした。
満足とまではいきませんでしたが、それでもスター・ウォーズというビッグコンテンツをリアルタイムで体験できている事は嬉しかったし、一大イベントのような三部作のゴールがどのようなものになるのかとても楽しみでした。
そして公開された三作目『スカイウォーカーの夜明け』。作品の内外問わず紆余曲折あった中、今回の三部作がどんな着地をするのか。それを見届けるため、劇場に行ってまいりました。
スター・ウォーズの熱狂を体感する可能性を秘めた続三部作。そのゴールで待ち受けていたのは、作り手の声が聞こえないつまらない最終作でした。
やりたい事とやるべき事がどれだけ一致していると感じるかで作品に対する満足度は大きく変わるのではないかと思います。やるべき事とは何かというと、観客の期待に応える事です。特にスター・ウォーズは長く続いてるシリーズ。お決まりの展開や音楽、登場人物の活躍など、作品にも求められるものが、どうしても固定されてきます。
やりたい事とは文字通り、作り手が作品を作る上でやりたい事、作品を通じて描きたい事です。
こんな風に書くと、やるべき事がやりたい事をする上で足枷になるのではないかと思えますが、全然そんなことはありません。寧ろ二つの両立をした上で新しい表現に挑戦すれば、今までに無かった、そのシリーズでしか見ることのできない映像を生み出すことに繋がります。
そのバランスが見事だった作品に挙げられるのが『シン・ゴジラ』です。着ぐるみと模型によって表現されてきたゴジラが今の人達の目にも受け入れられる表現を模索した結果として、3DCGによる着ぐるみの質感の表現が生まれました。だからこそ、模型に合成しても、実写に合成しても映像が成立する、特撮作品でしかあり得ない質感の映像が生まれたと思います。
同様の例としては、今年公開された『劇場版ウルトラマンR/B』。3DCGで作られたウルトラマンが空を縦横無尽にCGの街中を飛び立っていたかと思えば模型の建物に突っ込んだり、着ぐるみのウルトラマンと並び立っていました。
高いクオリティのCGによって作られた映像作品は近年では珍しくありません。しかし、特撮との融合を実現した映像は殆どない。長年、特撮作品が積み重ねてきた物に今の制作者たちが応えつつ新しい表現を模索した結果、生まれた表現です。
やりたい事とやるべき事が完璧に重なったと感じたシリーズが、同じく今年一つの区切りを迎えたマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)です。
単体でも作品が成立しうるヒーロー達が一堂に会するシリーズで、一つの作品の中に他の作品を踏まえた描写、直接的には関わらなくても今後の展開のための描写も取り入れていかなくてはいけない。それは、やるべき事であり作品にとって制約。作品を重ねる中で時に苦心したであろうと観客なりに感じる瞬間があります。しかし、それが作品の質を落としたり楽しみを害したわけでもなければ、寧ろ今までに感じた事のない体験がそこにはありました。
そもそもヒーロー達を一つの世界観に存在させ共演させるという事自体が制作者にとってのやりたい事。それを実現する為に行う必要のある事は、やるべき事であると同時にやりたい事なのです。
『エンドゲーム 』の終盤で全てのヒーローが並び立った光景は、まさに制作者のやりたい事の具現化したものであり、制作者の「自分のやりたい事はこれだ。」という声が聞こえてくるかのようでした。10年以上にも渡るやるべき事の積み重ねが、観ている側にも制作者のやりたい事への期待感を作り上げていた。だからこそ、その光景に涙した。
話を戻します。その点、今回のスターウォーズ3部作はどうだったのか。前作はやりたい事に終始するの対して、今作は逆にやるべき事に終始していたように感じました。どちらとも、やりたい事とやるべき事が重なっていたとは到底思えません。
本作は様々な要素をまとめて走りきりました。しかし、その成果はやるべき事にしか感じられない。そこに、やりたい事は一切見えてきません。強いて言うなら「無難に終わらせる事」がやりたい事です。
カイロ・レンの描写などを中心にとても心を引きつけられるのと同時に、スクリーンから外れた部分に気持ちが移ってしまう。没入しきれない。今作がやるべき事をこなせばこなすほど、やりたい事に終始していた前作が生み出したシワ寄せを意識してしまう。
つまり「作品のやるべき事は作り手のやりたい事から生まれたのか。」という事が重要なのではないかと思うのです。
作品をただ売って儲けるだけのために生まれたやるべき事は、果たして作り手のやりたい事に一致するのでしょうか。
少なくとも本作に限って言えば、やりたい事とやるべき事は全く一致していなかった。それどころか、やりたい事が全く見えなかった。本作の監督であるJJエイブラムスさんは、本作を通じて何をしたかったのか、観客にどんな体験を提供したかったのか。
本作からJJエイブラムスの声は聞こえてこなかった。
だからこそ本作は、自分にとってつまらない作品でした。