『シン・ウルトラマン』に求めるもの。リメイクに求めるものは何か。特撮に求めているものは何か。『ウルトラマン』に求めているものは何か。
それは『ウルトラマン』というコンテンツに触れた時代、触れた媒体、触れた作品によって異なるものであり千差万別です。自分が『シン・ウルトラマン』に求めるものは「現実に存在するウルトラマンの姿」です。
2019年12月15日日曜日。開催された円谷コンベンション2019にて、『シン・ウルトラマン』の姿が発表されました。
この画像におけるウルトラマンの異物感がたまらなく最高。
— モリオ (@mori2_motoa) 2019年12月15日
この気持ち悪い感じが、怪獣との戦いを通じて、如何にしてヒロイックな感覚に変化していくのか楽しみでしかたない。
馴染みがあるはずなのにギョッとするこの感覚は、『シン・ゴジラ』を思い出す。本当に最高です。#シン・ウルトラマン pic.twitter.com/8NOTrxnS42
公開されたウルトラマンのデザインは、リメイクすることの意義を感じさせるものであり、同時に作品の方向性をこれ以上にないほど雄弁に語っているものでした。オリジナル制作当時できなかった事、変えざるをえなかったもの。あらゆる制約、特に物理的な制約から解放されたウルトラマンが楽しみでした。
2016年に公開された『シン・ゴジラ』がそうであったように、長い歴史で定着したハプラックイメージが取り除かれ、初邂逅のような体験を作り出してくれるのではないか。宇宙人然とし良い意味で親しみやすさのない彼の姿からは、そんな期待をさせてくれました。「このテイスト、アプローチでウルトラマンを観てみたいな。」と思った自分の需要を狙い撃ちするかのようなタイトルとウルトラマンの姿からは、期待の二文字が浮び上らざるをえませんでした。
そして結果として約2年半の時を経て、遂に公開された『シン・ウルトラマン』。その間にも大きく世相が変わった現在で、50年以上前に誕生したウルトラマンがどのように降り立つのか。確かめるため、観てきました。
(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)
観賞までに期待を膨らませる中で思っていたことは、「そもそも、制約から解放された表現とは何だろう。」ということ。例えば飛行の仕方は、どんなポーズであれば正解なのだろう。ウルトラマンの肌はどんな質感なんだろう。デザインした人や関わった人たちは、着ぐるみのスーツのような質感がウルトラマンの肌の質感だと考えていたのでしょうか。
物理的制約から解放されたVFXという表現手段がある中で提示されたものは、着ぐるみのスーツのような質感であり、周辺の建物なども模型のような質感で表現されていました。
特撮作品において、ウルトラマンや怪獣が登場する特撮シーンとそれ以外の生身の人間が登場するシーンに分けられます。特撮の面白い点は、その分けられている二つのシーンが時に接続することで、現実と空想の境目が曖昧になる瞬間です。
空想の起点は現実である。故に現実との接続が強固であればあるほど空想の強度が上がります。だからこそ、自分が眺める日常の風景にウルトラマンや怪獣の姿を頭の中で投影してしまうことがあるし、そうした想像は楽しいです。
ニュージェネレーションと呼ばれている近年のウルトラマンの作品において何が素晴らしいのかというと、そうした日常の風景への投影、現実との接続が高いレベルで行われていることです。ウルトラマンや怪獣が立つセットの中で撮影される空想の世界と、その他で撮影される現実の世界。その2つを繋げる映像や演出が高いレベルで行われています。
ウルトラマンが人の領域(実写の風景)に入ることがあれば、逆に人がウルトラマンの領域(セット)に入ることもある。空想(特撮)と現実(実写)の境目が不明瞭になる瞬間をいくつも用意することでウルトラマンと人間のドラマが連動し、大きな興奮と感動の波を作り上げてくれます。
自分が最も好きな変身シーンがある『ウルトラマンゼアス2』もまさにそうした理由からだと、今になって思います。勝人兄ちゃんが変身しウルトラマンゼアスが飛んでいくまでがシームレスに描かれている。そうした接続があるからこそ、それまでの勝人兄ちゃんの成長がそのままセットの中で戦うゼアスの成長と必殺技に昇華されていました。
しかし、現行のTVシリーズのウルトラマンのそうした接続が高い水準で行われていたとしても、「着ぐるみと模型がどこからどう見ても100%本物に見える!」とまでは言えません。(凄く言いたいですが。)あらゆる創意工夫が施された映像・演出であっても、「本当にウルトラマンがいたらこうだろう。」という空想と現実が100%融合した映像にはなりません。着ぐるみや模型を用いた現行のTVシリーズのウルトラマンが実現していることは、ウルトラマン(空想)と現実の接続であって、ウルトラマン(空想)と現実の融合とは異なります。
人が住む街の中にウルトラマンが立ったり、ウルトラマンが立つ模型の中に人がいたり、それらを織り交ぜることで、模型が並ぶセットが本物であると感じさせ、そこに立つウルトラマンもまた本当に存在していると観ている者に思わせてくれる。ですがそれは、本物に「感じられる」アプローチであって、本物に「見える」アプローチとは違うと思っています。
近年のVFXの技術の向上で、空想の物が現実のものと並び立つ事が決して珍しいことではなくなった現在。限りなく本当に存在するかのように見える映像技術がある中で、『シン・ウルトラマン』に目指して欲しかった映像は、本物に「見える」映像なんです。刹那的な接続により空想が現実味を帯びる映像ではなく、継続的な接続によって現実と空想の境界線が完全に不明瞭になった映像が見たかったんです。
これだけ大きな規模で制作される機会は限りなく少ないことも、そういった思いを強めていると思います。50年前に出来なかった表現は勿論ですが、現行のウルトラマン作品では出来ない表現も観たい。ハリウッド大作のような、と言うと酷ですが、でも着ぐるみと模型メインの表現では出来ない映像を観たかった。
そういった意味で言えば、着ぐるみや人形のように感じるウルトラマンと怪獣の質感や模型然としたウルトラマンと怪獣が戦う空間が表現されていた『シン・ウルトラマン』という作品は、自分が求めていた映像は観られなかったと、断定するほかありません。
しかし、
だけど、
それでも、
自分は空を飛ぶウルトラマンの姿に感動したんです。
大切なのは、『シン・ウルトラマン』が物語る上で理にかなった表現になっているのか、着ぐるみのような質感が、人形や模型を想起させる表現が、ウルトラマンの物語を描くことに寄与し情動を作り出しているのか、ということです。私は最後のウルトラマンが飛ぶシーンの中で、理が見出され、感動しました。
ザラブ戦にて、空中で組み合っていたウルトラマンがザラブに吹き飛ばされた直後、一直線の飛行体勢をとりました。他にもウルトラマンの飛行シーンを見ていると、あの往年の人形っぽさを感じる姿勢は、ウルトラマンにとって最も飛行が安定する姿勢であり、体勢を維持及び立て直すのに最も適した姿勢だったということが伺えます。一直線の姿勢を取ることは、アイアンマンが空中にて両手のリパルサーでバランスを取ることであり、吹き飛ばされたスパイダーマンが体制を立て直すために壁や天井に向けて糸を飛ばすアクションに相当するものだと解釈できます。
最後に抗いきれず吸い込まれてしまうウルトラマンのシーン。あの体勢の堅持は、何よりも、「ウルトラマンの生きる意志」を感じさせるものでした。そしてそこから繋がるウルトラマンの行動の総括とも言えるウルトラマンとゾフィーの場面。人間と融合を果たしたことで生まれたウルトラマンの変化、人間性の獲得、その象徴としての生きる意志。ウルトラマンという存在をリセットし人類を守ってくれる存在として再定義するまでの物語として、そこに繋がるウルトラマンの意志の表現として、涙を禁じえませんでした。
長く続くシリーズ、定着した表現、それらが表現上の制約により生まれたものであったとしても、再解釈を経ることで意味を見出す。自分はそうした表現を望んでいました。本作のそうした堅持した表現、意地悪な言い方をすると特撮に固執した表現が、結果として意味を生み出し感動を与えてくれたのかも。神永さん(ウルトラマン)の台詞を引用するなら「そうではない、だが結果的にはそうだと言える。」なのかもしれません。
表現の幅、選択肢がVFXにより広がったことで、それでもあの表現を選択することの意味が浮き彫りとなり物語ることへ繋がっていました。そうして生まれた感動は、紛れもなく50年以上前に作られた『ウルトラマン』という作品の再解釈の結果として生まれたもの、本作から生まれたものでした。そしてそれは私が観たかったものだと断言する。いや…断言したい。
本作の観賞を終えた直後の感想というか、後味は『シン・ゴジラ』に近いものでした。作品の世界から現実に戻って来たかのような、それは単に作品の上映が終わり、明かりがつき、劇場を後にする、ということではなくて「作品をどう受け取りどう生きていくのか。」ということを作品を媒介して考えさせられる。活動が止まったとはいえゴジラの巨体が東京の真ん中で残された状態で幕が閉じた『シン・ゴジラ』。ウルトラマンに命と希望を託されて幕が閉じた『シン・ウルトラマン』。日本人・人間が、背負った・託されたものの重さを感じる幕引きに通じるものを感じました。
空想の起点は現実である。だからこそ、空想の先で見えた希望や託されたものが、現実で生きる力を自分たちに与えてくれるのだと思っています。そして『シン・ウルトラマン』は私にとって正にそんな作品でした。
空想特撮、私の好きな言葉です。