モリオの不定期なblog

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見えないからこそ生まれる視覚的快感とカタルシスに酔いしれる<見えない目撃者/感想>

 本来なら新年の挨拶をするところですが、2019年に観賞した映画の感想を書ききらないまま新年を迎えてしまいました。このまま新年の挨拶をするわけにはいきません。ということで、途中で止まってしまっていた作品の感想を年始の間に書こうと思います。

 

まずは劇場で予告編を観た時から気になっていた作品『見えない目撃者』です。視覚が制限される中で、どんなサスペンスと展開を見せてくれるのか、「傑作」や「今年の邦画で一番」という評判も相まって非常高い期待感を胸に、劇場に入りました。

 

しかし当時『天気の子』や『ハロー・ワールド』などのボーイミーツガールを描いた作品に漬けこまれていた私は、本作の余りにもハード過ぎる内容にぶちのめされることに。作品として、サスペンスとしてのクオリティが高い本作。サスペンスの意味を調べてみると以下のとおり。

 

不安や緊張感。特に映画・小説などで、危機的な場面に観客・読者が覚える、はらはらする感情。

 

つまりサスペンスとしてのクオリティが高いということは、緊張感や不安がそれだけ大きくて物凄くはらはらさせられるということです。気の緩みきって私には刺激が強すぎる体験。翻弄され息の詰まる、いや、息を止めたくなる体験を味わう事になりました。

 

 

 

映画「見えない目撃者」オリジナル・サウンドトラック

 

映画「見えない目撃者」オリジナル・サウンドトラック

映画「見えない目撃者」オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト:大間々昂
  • 出版社/メーカー: Anchor Records
  • 発売日: 2019/09/18
  • メディア: CD
 

 

 

 

 (以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 

 

 オープニングからタイトルまでの間の主人公の説明の手際の良さから、本作のクオリティの高さが伺えます。警察学校での訓練から事故で弟と視力を失うまでを、短い時間の中で見事に印象付けている。視力を失う部分は勿論ですが、それ以上に彼女の洞察力や拳銃の扱い、武道など能力の高さ、そして警察官を志す人間性(と言えば良いのでしょうか。)が短い時間に濃縮されている。ここでしっかりと描いているからこそ、後の展開における彼女の言動の数々に説得力が生まれています。

 

見えないという大きなハンディキャップを背負っている。そんな彼女が事件を追い、犯人を追い詰め、事件を解決する。もしここに説得力が無かったら、本作にここまで没入できなかったかもしれない。

 

オープニングの時点でその説得力(観客の信頼とも言える。)を勝ち取ってる時点で、ある意味本作は成功していると言える。最後まで安心して不安を感じ(?)鑑賞することができました。

 

 

 

 そして何よりも主人公の描写に説得力を持たせているのは、演じている吉岡里帆さんに他なりません。ポスターでも印象的な彼女の力強い目ですが、彼女は目が見えない。劇中でも彼女の目と一挙手一投足が、彼女は目が見えないんだという事を伝えてくれる。その上で、焦点の合っていない彼女の目から力強さが伝わってくる。犯人と対峙する終盤では、見えないはずの彼女の目が犯人を見据えている。

 

見えないはずなのに見ている、焦点があっていないのに力のこもっている目。矛盾していると思われるものを成立させる吉岡さんの演技、脱帽ものでした。

 

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彼女を追い詰める犯人を演じる浅香航大さんも素晴らしかった。犯人だと分かってからの一挙手一投足がまあ怖い。淡々と、でもそこに歪んだ内面を感じさせる動作。スクリーン越しで自分は安全であること分かっているはずなのに、狂気と恐怖がこちらに襲ってくると錯覚させる。階段を降りて逃げようという所で物陰からスッと出てきたシーンでは、思わず声を上げそうになる程怖かった。史上最恐の「志村後ろ!」である。 

 

吉岡さんと同じく、浅香さんの目も非常に印象的。犯人であると明らかになる前の目と明らかになった後の目が明らかに違う。抑えていたヤバイ奴オーラが目から溢れ出てくるかのようでした。

 

「目」が重要な部分を占める本作。演出や役者を含め、作品全体で目の表現に非常に気を使っている事が伺えます。

 

 

 

 

 彼女の行動に説得力を持たせた上で、それを更に魅力的にしたものが、彼女の感覚の映像化です。彼女の感じてる視覚以外の情報を、おぼろげな映像で見せる。彼女の感じているもの、注視しているものが観客にもわかるように視覚化されています。その視覚化の度合いの塩梅が素晴らしい。

 

主人公と観客、両者の視覚情報の差を活かす事で緊張と弛緩を演出してる。視覚が限られている主人公とは違い、映画を観てる自分は状況が把握できる。どうすれば良いかまでの判断はできなくても、避けるべき脅威と目指すべき目的は最低限把握できる。

 

だからこそ、視覚以外の感覚を頼りに必死に行動する主人公の姿にとてつもない緊迫感が生まれる。知覚が限定されている事による緊迫感と知覚できた瞬間の高揚感が、飴と鞭のように訪れることで良い意味で気が休まらない。

 

特にそれが顕著だったのは、地下で主人公が犯人から逃げる場面。走っている最中に盲導犬のパルと離れてしまった為、道標となる点字ブロックを必死に探す主人公。空いていた距離を着々と詰めてくる犯人。観客である我々にはそれが分かる為、犯人の一歩一歩が恐怖を駆り立てる。しかし主人公に見えるのは真っ暗闇。点字ブロックを探す手もあと数センチというところで届かない。

 

例えるなら、スイカ割りのようである。「右!もっと右!あ、もうちょっと前!」と思わず声を出したくなる。しかし残念ながら本作には今流行りの応援上映は無かったため当然声は出せない。仮に出したとしても、一切主人公に届かない。難易度も危険度もMAXのスイカ割りです。

 

ようやく点字ブロックに手が届くと、彼女の触れた場所を起点に点字ブロックが一気に可視化されていく。瞬時に主人公も走りだして盲導犬と合流する。真っ暗だった彼女の視界に進むことの出来る道が一気に伸びていく快感。安堵と高揚が入り混じった一連のシーンは、本作のハイライトの一つであることは間違いありません。

 

 

 

 

 主人公は自力でスイカの場所を探し出して狙いをすませて棒を振り下ろす。その一連の流れにカタルシスが生まれる。それは物語の終盤でも炸裂してます。更にそこに駄目押しの如く、これまで描かれた彼女のバックグラウンドが小道具に至るまで犯人攻略のロジックに組み込む用意周到さ。

 

彼女だからこそ犯人に勝てたという事実、それを徹頭徹尾、映像で見せてくれる快感。

サスペンスだけでなく、主人公のドラマでも観客を揺さぶる。その合わせ技で作り出すラストのカタルシス

 

主人公の目が見えないという設定だからこそ生まれた快感とカタルシス。それに酔いしれる体験は唯一無二であると言って過言ではありません。