モリオの不定期なblog

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ズルいと感じさせる情緒満ち溢れた物語の結末。その根底にある圧倒的納得とは。<劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン/感想>

 テレビアニメの劇場版。新しい物語が観られることだけでなく、テレビシリーズからの映像のクオリティアップなど、テレビシリーズという基準がある作品特有のワクワク感があります。また作品の内容が物語の最終章である場合は、終わってしまうことへの寂しさやクライマックスへ向けた一種の緊張感も付与されます。観賞前では、そのシリーズに対する信頼や期待が如実に反映されるようです。

 

そんな中、情緒に満ちた物語やそれを支える美しい映像、テレビシリーズで積み上げてきた信頼が宝石のように強固な作品が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。その劇場版が、2度に渡る延期を経て、ついに公開。

 

「駄作になりようがない。」と思わせるほどの期待感を帯びた本作。それに打ちのめされる気満々で、本作を観賞してきました。

 

 

(以下、映画本編のネタバレがありますのでご注意ください。)

 

 

 

 

 

 本作において注目していたポイントは、「主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンの物語の終結」と「手紙という媒体だからこそできること」の2点です。まずは1点目の「主人公ヴァイオレットの物語の結末」についてです。本作は、ヴァイオレット達が生きている時代を主軸にしながら、それに沿う形で数十年後の時代が描かれる構成になっています。

 

そこに登場するのが、テレビシリーズ第10話で登場したアン・マグノリアの孫デイジーマグノリア。彼女が祖母アン宛に送られた手紙をキッカケに手紙の事と代筆したヴァイオレットの事を知っていく話なのですが、もう人選の時点でズルい。ズルいんですよ。10話自体がもう情緒の塊の様な内容で、泣くなというのが無理な話。それが冒頭から差し込まれるのだから、上映開始からたった数分で鼻をすする音が周りから聞こえてくる。「まだこの先2時間あるんだぞ!初っ端からそんなんで大丈夫か!?」と心の中で言う自分も、マスクが涙で濡れている始末。

 

そんな感じで2時間20分間、涙腺を刺激され続けるのですが、実は1回目の観賞では、終盤はあまりピンときせんでした。主人公達の結末に対する祝福の念よりも先に「そうなったか〜。」という気持ちが先に来てしまいました。

 

観賞前に書いたのですが、今回の劇場版では「愛してる」という言葉の意味、人の気持ちが分かるようになった主人公ヴァイオレットが、自分の想いをどんな言葉で紡ぐのか。どんな手紙を書いてくれるのか、という点が気になっていました。

 

mori2-motoa.hatenablog.com

 

彼女が自分自身の想いを伝えることだけでも感涙ものなのですが、更に胸を歌を打ったのが、彼女が一度は会いたいと思っていた人に会うことを諦める選択したことです。

 

彼女が会いたいと望む恩人であるギルベルト・ブーゲンビリア少佐。彼が彼女に会いたくない理由を聞いた時、その気持ちが理解できるとし、会わずに帰ることを選択します。自分の気持ちを抑えることへの是非はともかく、彼女がそれ程までに人の気持ちを感じて汲み取ることができるようになった事実、その成長こそが胸を打つ。

 

想いを伝え、相手の気持ちや事情も汲み取る。気持ちという形の無いものを知るため様々な手紙の代筆をしてきた彼女が、これほどまでの成長を遂げた。私はそれで、物語のゴールとして十分だと思ったんです。

 

極論、ヴァイオレットとギルベルトが結ばれなくても良いと思ったんです。彼女が人の感情を理解し成長すること、ギルベルトと結ばれること、その二点は必ずしもイコールではありません。

 

自分が代筆を通じて様々な人の手助けをしているように、そこに居る人たちの助けになっているギルベルト。そしてそのギルベルト自身が、ヴァイオレットを戦争の道具として使役していた事実に対する罪の意識から、会うことを拒絶する。

 

そんなギルベルトの気持ちを、ヴァイオレットは汲み取るんですよ。人の気持ちを知らなかった、かつて「愛してる」が知りたいと言った彼女が、そういう複雑な気持ちを理解できると言うんです。

 

ギルベルトの気持ちも汲み取り、自分の気持ちを自覚し涙を流しながらも「無事を確認できただけで満足です。」と納得する。これ以上にないくらい彼女の成長を感じられる。

 

だからギルベルト宛の最後の手紙を残して去る終劇が「アリ」だと思ったんです。

 

「特定の人物に対して感じる想いを素直に伝える。」勿論それは大切な成長です。でも同時に、相手の事情や気持ちを汲んで自分の気持ちも飲み込む。それもまた、一つの成長だと思うんですよね。

 

気持ちを伝えるだけでなく、相手の想いを尊重できる。自分の期待していたものよりも、更に一歩進んだ成長を感じたんです。だからこそ、ヴァイオレットの会わないという決断は物凄く胸を打つものでしたし、結局ヴァイオレットとギルベルトが結ばれることになった物語の結末に少しモヤモヤを感じてしまった訳です。

 

でも考えてみれば、会わない決断を覆したのはヴァイオレット自身ではなくギルベルトなので、その成長そのものが無かったことになるわけではない。1度目の観賞では、そこまで考えが至らなかった。

 

そんなモヤモヤを消化しきれないまま2回目の観賞に。2回目の鑑賞の中で、漸くそこに考えが至ったわけです。(1度目の観賞で使い忘れたムビチケが余っていたのですが、結果オーライ。)

 

 

 

 本作におけるテーマはテレビシリーズから一貫しています。「手紙は言葉では伝えることをできない想いを伝えてくれる。」ということです。

 

涙腺が緩み切った状態で物語は進んでいくのですが、涙腺を刺激するのはテレビシリーズのキャラクターだけではないのです。劇場版で初登場のユリスです。彼は病気を患っており、余命が短い。父や母、弟に普段は伝えることのできなかった想いを手紙で伝えるため、ヴァイオレットに代筆を依頼します。家族だけでなく、親友宛の手紙も書こうとしましたが、結局それは叶いませんでした。ですが代わりに電話で直接伝えました。

 

物理的な距離を跳び超えながら、相手に直接伝えることのできる電話。伝える手段として、手紙が電話に取って代わられる瞬間が描かれています。

 

手紙にはない電話の優位性、直接伝えることができることを描いてもなお、いや描いたからこそ、手紙にしかできないことや手紙でなら伝えられることが浮き彫りになっています。

 

最後の去ろうとするヴァイオレットをギルベルトが呼び止めに走る場面。彼の決断を後押ししたのは、ヴァイオレットの残した手紙です。ヴァイオレットがギルベルトへの想いを綴った手紙を読んだことで、ヴァイオレットに会う決断ができたわけです。

 

「近しい存在だからこそ、伝えることが難しいこともある。」本作でもそのことは触れており、それはテレビシリーズの頃から一貫して描かれてきたテーマです。本作の回想で出てきた第3話のモールバラ兄弟の話に始まり、様々な形で描かれてきました。今までに築いてきた関係があるが故に、伝えたいことがあるのと同時に、伝えることが難しいこともある。

 

ヴァイオレットとギルベルトの関係は戦争から始まりました。しかもギルベルトが使役しヴァイオレットは使役されるという関係性。スタートから互いをつなぐ糸が絡まった状態。互いが互いを想う気持ちが複雑に絡まって、会わないという選択をしてしまう。

 

そんな絡まった糸を解きほぐし、ギルベルトに素直な想いを伝える決断をさせたのが手紙な訳です。これはまさに、本作がテレビシリーズから一貫して描いてきた事。これほどまで一貫したテーマ故の物語の結末、そこには揺るぎようのない圧倒的な納得がありました。

 

 

 

 父の日や母の日など、誰かに感謝の気持ちを伝える時、なんとも言えない気恥ずかしさを感じてしまいます。近しい人だから言えることがあれば、逆に近しい人だから言えないこともある。自分の思っていることを、それまでに築いてきたその人との関係性ゆえに伝えることができない。そんなもどかしさを感じることがあります。

 

そんな時、メールやSNSでなら感謝の気持ちを伝えることができます。更にいうと、自分の素直な気持ちを伝えるキッカケとなってくれる存在が、メールやSNS、手紙など、文字で伝える媒体です。直接ではないからこそ伝えることができる。手紙を書く機会はなくなってしまいましたが、その意義や機能は、メールやSNSに引き継がれています。

 

SNS等を利用する中で人とやりとりし自分の考えが思うように伝わらなかったりなど、文字で伝えることの難しさを日々感じる中でも、文字で伝えることの意義を感じさせてくれた作品が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。その最終章にして劇場版である『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は情緒と納得に満ち溢れた素晴らしい作品でした。

 

 

 

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