モリオの不定期なblog

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本作は果たして、時代の空気を読めていたのか?<劇場版シティーハンター 新宿 PRIVATE EYES・感想・ネタバレ>

 かつて一世を風靡した作品が、時代を超えてリメイクやリブートされる事が国内外を問わず行われている現在。当時その熱狂の渦の中にはいなかった私も、こういった作品は観てみたい。そういった作品に対して憧れみたいな物を感じているし、リメイクやリブート、新作を通じて自分も少しでもいいから体感してみたいと思っています。

 

そんな中、『劇場版 シティーハンター 新宿 PRIVATE EYES』が公開されました。1985年に原作が連載開始し1987年から1999年の10年以上もの間、テレビシリーズで大ヒットを飛ばした『シティーハンター』が20年ぶりに帰ってくる。20年前にファンを熱狂させた『シティーハンター』、一体どんな作品なのか確かめる為に鑑賞し、その熱を少しでも感じられればと思い新宿の映画館に馳せ参じました。

 

鑑賞した結果、面白くない訳ではありませんが、あまり乗りきれませんでした。作品の鑑賞後、この胸に感じたものは「寂しさ」でした。

 

劇場版シティーハンター <新宿プライベート・アイズ> -VOCAL COLLECTION-(期間生産限定盤)

 

 

(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 

 本作の序盤、掲示板で「XYZ」を書き込む下りがあります。実際には掲示板は撤去されており、当然本作でも掲示板はありません。その代わりに、掲示板があった場所にスマホのカメラをかざすと掲示板が写り、そこに書き込む事が出来るようになっています。そこに「XYZ」と書き込むと、伝説のスイーパー(始末屋)であり主人公の冴羽獠に依頼する事になります。

 

早速、今ならではの描写にワクワクしました。今の時代に合わせて作られた作品であれば、私にも楽しむ余地が十分にあるのではないかと思ったからです。しかし、その期待を裏切るかのように、それ以上に現代ならではの描写は殆ど見られませんでした。主人公たちがスマートフォンを使っていたり、ペッパーもどきが登場したりなど、一応、劇中の時代は今私たちが生きている時代と一緒なのだなと思える描写はありましたが、本筋に関わる部分においては全くありませんでした。

 

 

 

 劇中において、ヒロインの槇村香が「時代の空気…読まんか〜い!」という台詞を言います。しかし本作自身が、果たして本当に「時代の空気」を読んでいたのか?疑問が残ります。

 

例えば、本作の敵として登場する御国真司はIT総合企業のCEOであり広告などにも精通していながら、冴羽獠や進藤亜衣を追い詰める上で、TwitterなどのSNSを利用しません。SNSが盛んな現代で、情報戦を行わない代わりにやる事は、強い部隊やドローンを送るだけ。それは20年前でも出来る事で、新しい話を作る上ではこの話は意義は感じられません。

 

 

 

 20年の時を超えて新作を作るのであれば、そこには「今だからこそできる」作品が求められると思います。もしそれが無いのであれば、その作品は過去の作品のただの焼き直しでしかありません。本作『劇場版 シティーハンター』は、まさに、そんな作品でした。スマートフォンなど、表面的には現代に沿っているものの描かれる話自体は昔でも成立する話です。

 

ただの焼き直しではなく、時代に合わせた作品作りができていれば、そこに生まれるのは時代を超える普遍性だと思うんです。SNSが普及した事で生まれる難しさ、例えば誰もが情報発信する事が出来るから大っぴらに銃を扱う事ができない。逆にSNSを使って情報収拾する。要は、20年前には行われていなかった、できなかった戦い方を各々する事で新しい話が出来ると思うんです。そうする事で、時代や社会、環境が変わっても、冴羽獠の持つ変わらない魅力が引き立つのではないかと思うんです。

 

それができれば、ファンにとっては冴羽獠の新たな魅力の発見になるし、私のように本作で初めてシティーハンターに触れる人も楽しむ事が出来ると思うんですよ。

 

 

 

 しかし、冴羽獠をはじめとする登場人物たちのコミカルなやり取りや、決めるところは決める冴羽獠の姿にもグッときた事も確かです。海坊主が美樹をお姫様抱っこするシーンは私でも微笑ましく感じたので、往年のファンの方達は頬が緩みきっていたのではないかと思います。部分部分では、シティーハンターが人気である所以を感じる事ができました。

 

だからこそ、本作の「時代の空気を読めていた」とは言い難い話を残念に感じてしまうんです。「別に新規の視聴者はターゲットに入っていない。」と言われてしまえば、それまでです。しかし、20年の時を経て再び作られる以上、当時の人のみが知っている熱を少しでも感じたかったです。本作を鑑賞しても熱狂していた方達と作品を共有できなかった、その事実に「寂しさ」を感じてしまったんです。