モリオの不定期なblog

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世界を超える2人の物語。SFがもたらす体験に心を揺さぶられる。<HELLO WORLD ハロー・ワールド/感想>

 SF(サイエンス・フィクション)というジャンルに分類される作品では、現実には無い物が登場します。それは一つの物だったりすれば、世界そのものだったりと、「現実には無いもの」のスケールは作品によって異なります。しかし、未知の法則の理解を観客に要求する事に変わりはありません。

 

作品を楽しむ上で要求される事が多かれ少なかれ他のジャンルよりもあるためか、「敷居が高い。」などと言われる事があります。

 

そんな中でSFを見る理由は何なのか。それはその法則を読み解く事だったりと、要求される事が寧ろ楽しいという事もあると思います。しかしそれ以上に、自分がSF作品を見たいと思う理由は、その設定や世界観、現実には無い設定だからこそ生まれる体験と感動があるからです。SFというジャンルにはそういう魅力があるのだと思います。

 

その魅力を再確認させてくれた作品が、現在公開中のHELLO WORLD ハロー・ワールド』です。主人公の成長を見事に描き切り、「SFだからこそ」と言える体験がある作品でした。

 

 

 

 

映画  HELLO WORLD 公式ビジュアルガイド

 

 

(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 

 

 本作において素晴らしいと感じている点について、主人公の成長2人の「かたがきなおみ」の対比の2点を説明したいと思います。

 

まず主人公の成長について話したいと思います。本作では、主人公である堅書直実(かたがきなおみ)の成長のゴール地点が明確にされています。それによって、短い上映時間の中でも成長が端的にかつ明確に描かれています。主人公の成長を理解し易くする事で、本作で登場するSF設定を理解する事に集中する事ができるようになっています。

 

「ずっと悩まない!意識的に早く決断しよう!」

「人の評価を気にしない!思ったことは口に出そう!」

「他人に決めてもらわない!自分のことは自分で決めよう!」 

 

 

彼の読んでいた自己啓発本に書かれていた内容です。この場面では自分を変えようとしても思うようにいかない様子を描いています。それと同時に、彼自身が感じている自分自身の問題点も表しています。つまり本作における彼の成長のゴール地点は

 

「自らの意思で決断と行動ができるようになる。」

 

という、非常にシンプルで明確なものだと考えることができます。

 

彼の成長を感じ取れる場面の一例としてあげられるのは、恋人になる一行瑠璃(いちぎょうるり)さんの為に燃えてしまった本を作り直す場面です。未来の自分が用意したマニュアルに初めて背き自分で決めて行動しています。その決断と行動は紛れもなく自身の意思で行われたものであり、彼の変化を物語っています。

 

また、そういった変化を描く上で細かい演出が随所に施されています。前述した場面の前、彼が家で身支度を済ませてタイマーの前を横切るシーンです。それと似たシーンがそれよりも前にあるのですが、その時は彼が丁度横切るタイミングのタイマーに表示されている時間も変わっています。それに対し、後のシーンではそのタイミングが微妙にズレているんです。

 

それは彼がマニュアルという型から脱し始めた事を更に強調しています。その他にも、彼が発するたびに声色の異なる「はい」という言葉など、彼の変化を感じ取れる描写が数多く配置されています。

 

「多少なりとも、お近づきになれたかな?」

「多少だな。」

 

劇中にあるやりとりの通り、一つ一つは多少であっても、劇的な変化ではなくても、堅書直実が変わっている事実に間違いありません。だからこそ、後の展開で彼の成長が顕在化した時、彼の劇的な決断と行動を生んでいるのだと思います。

 

一行瑠璃が連れていかれ、世界が消されていく様を目の当たりにする。そんな中で見つけた僅かな可能性。しかしそこに飛び込んだ先の事は何も分からない。マニュアルには何も書かれておらず真っ白。

 

しかしそこで彼に一歩を踏み出させたのが、一行さんと、他でもない自分自身です。一行さんとの出会いを通じて少しずつでも変わっていく。横断歩道を渡る事すら躊躇していた彼の一歩が、気付いたら世界をも飛び越えるほどに大きなものになっていた。

 

それこそが、本作の大きな魅力の一つだと思います。

 

 

 


 次に本作の優れている点は、2人の「かたがきなおみ」を対比している点です。過去の直実と未来のナオミ、2人は共に「かたがきなおみ」であり時間が違うというだけで同じ人物です。

 

前述した直実の成長も、10年後の自分自身という比較対象・基準があるからこそ、更に際立ちます。一行さんが階段を降りるのを躊躇している時、ナオミよりも先に声をかけて励ましたのは過去の直実です。その差は1秒にも満たない僅かな差です。しかし、その差にこそ、「意識的に早く決断し、思ったことは口に出す。」彼の成長を感じ取れるんです。

 

対してカタガキナオミは、10年という長い時間をかけて彼女を救う為に生きてきた。その過程で、少なからずエゴイスティックな面を持ち合わせてしまいました。

 

しかし差が浮き彫りになったことで、変わらない部分も明確になる。それは「一行瑠璃を助けたい。」という思いを持っているという事です。過去の直実の選択と決断が、一行さんへの思いを感じさせます。そして、2人とも「かたがきなおみ」という同じ人間だという事実が、同じくらい強い思いを未来のナオミも持っているのだと感じさせてくれます。外に伸びている枝葉は違っていても、幹の部分は同じなんです。だからそこそ、彼の裏切りを理解することができる。

 

2人の対比は、終盤の回想にもあります。2人の「かたがきなおみ」がそれぞれ回想するのですが、一見すると同じシーンの繰り返しです。しかし所々に異なるシーンが挿入されています。それによって、流れている映像の多くは同じでも過去の直実と未来のナオミ、それぞれの視点で見え方が変わってきます。

 

本来、一行さんと付き合うまでの時間は2人の思い出であるのに対して、過去の直実にとっては、未来のナオミ含めた3人の思い出です。だからこそ、片方の消去を迫られた時に「2人とも生きるんだ!」と涙ながらに抵抗した。

 

未来のナオミは、自分を含めた10年後の2人の未来を取り戻す為に動いていました。しかし最後には、過去の2人の未来の為に自らの消去を選択しました。

 

2人の「かたがきなおみ」の存在が、映像に纏う感情を厚みを二重にも三重にもしてくれます。

 

 

 

 

  そしてラスト。そこで描かれる展開は、公式が「ひっくりかえる」と宣言したように、本作が積み上げてきたものを逆転させる展開となっています。しかしそれは決して、そこに至るまでの展開を蔑ろにするものでなければ、ましてや貶めるものでもありません。

 

最後のシーン。目覚めたナオミの前に立っていたのは、未来のイチギョウさん。これまで登場していた10年前の一行さんとは違います。後者は10年間眠っていたのに対して、前者はカタガキナオミを取り戻すために人生を捧げてきた。容姿の一つ一つの違いが、その努力を物語っています。

 

前述した「かたがきなおみ」の対比。それは一行瑠璃にも言える事だったんです。守られる側だったと思われていた一行さんもまた、直実と同じくらいの努力を積み重ねてきた

 

 

 

 時間を超えた2人の対比、それが描き出す彼らの成長と想い。世界を超えた彼らの物語はこれ以上に無い感動を与えてくれました。そしてその感動は、現実には無いものが描かれたからこそ、つまり本作がSFというジャンルだからこそ生まれたのだと思いました。素晴らしい作品でした。