モリオの不定期なblog

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AIの感情を浮き彫りにする愛の物語。未来を明るく照らすアイの歌声に涙する。<アイの歌声を聴かせて・感想>

 友〜達〜欲〜し〜〜〜〜〜〜い!!!!!

 

 急にどうした?と思われるかもしれませんが、まさにそんな主人公のファーストインプレッションから始まるアニメーション映画が『アイの歌声を聴かせて』です。監督は『イヴの時間』の吉浦康裕さん。主人公・シオンの声を演じるのは土屋太鳳さん。そしてもう一人の主人公・サトミの声を演じるのは福原遥さん、その幼馴染・トウマの声を演じるのは工藤阿須加さん。そして小松未可子さん、興津和幸さん、日野聡さんといった実力派声優が脇を固めます。

 

イヴの時間』で一度AI(人工知能)を題材の作品を作り出した吉浦康裕監督が、新作で再びAIを題材に作品を作り出す。『イヴの時間』から10年以上の時が経ちAIがより身近な存在になった現代で新たに描かれる「人とAIの物語」がどんなものか、非常に楽しみ劇場を後にする頃には、作品の放つパワーに完璧にやられていました。

 

 最後にきっと、笑顔になれる――。

 

公式HPのイントロダクションに記載されているこの一文に偽りなしの傑作の誕生。作品に流れている価値観。その価値観から放たれる最高のクライマックス。そこから感じたことをしっかりと書き残しておきます。

 

 

アイの歌声を聴かせて (講談社タイガ)

 

 

 

(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 本作で特筆すべき点は「進化したAI(人工知能)=人」という価値観から脱却した物語を展開し、共存の可能性・希望を示してくれたことです。

 

人の指示など様々な情報から人の考え方・価値観を学習し模倣する事で人間らしい思考を獲得していく。それを積み重ねていった結果、もしくはその過程で人と同じように感情も芽生えていく。そうしてどんどん人に近づいていき、遂には人にしか思えないレベルにまで到達する。更には見た目さえも人にしか見えなくなっていくことで人との境目が限りなく曖昧になった時、必ずと言っていいほど突き当たるのが「AIを人と同等の存在として認めるべきか否か。」という問い。

 

 近年でAIを題材とした作品で思い出されるのは『Detroit: Become Human(デトロイト ビカム ヒューマン)』や『仮面ライダーゼロワン』です。どちらも今では人間が従事している仕事にAIを搭載したロボットが従事している世界が舞台になっています。その中で、人がAIに仕事を奪われたことでAIに反感を持ったり、逆に感情を持ったAIが人と同じ扱いを受けないこと(人の支配下にあること)に不満を持つことで発生する様々な問題が描かれています。

 

 

 

そういった作品において、観る側として常に感じていたことは二点あります。

  • 人に限りなく等しいAIを尊重したい思いと、AIによって起こってしまう悲劇を避けたい思いのジレンマ
  • そもそも意思を尊重すると言っても、それは人の所有物として許される範囲内で?それとも人として?

 

特に『仮面ライダーゼロワン』では、後者に疑問について主人公のスタンスが明確にならない、そもそも番組(物語)がそこまで踏み込んで描けなかったことにモヤモヤを感じていたことは否めません。

 

人と同じように考えたり感情を抱くAIが、与えられた命令(仕事)から離れて人と同じように生きる自由を望んだ時どうするのか。そもそも、感情を持ったAIはそんな自由を望むのか。自分の人口知能に対する知識の少なさも相まって、AIという題材に対して八方塞がりのような印象を抱いていました。「気持ちの良いハッピーエンドはあり得ないのではないか。」と。

 

この先、自分たちの生活にAIが根付いていくのだと実感する日々。いつか直面するかもしれない問題へのポジティブな回答を提示してくれる作品を渇望していた中、風穴を開けてくれたのが本作『アイの歌声を聴かせて』でした。

 

それを最も感じたのは、シオンの救出する過程でシオンのボディを捨てたことです。トウマの「シオンはAIだからボディは逃がさなくてもいい。」という提案に則ってシオンのデータのみを逃がします。その後も誰もボディが無くなったことを嘆いたり取り戻そうとはしません。当のシオンも、手に入れたボディを使ってサトミに直接会えたことに喜びはしても、ボディに固執することしないし、決して「サトミたちと同じ人間になりたい。」とは願わない。

 

あくまでAIのシオンにとって人型のボディは、サトミに直接会い歌を歌うための道具・手段にすぎなかった。AIだから人型の身体(ロボット)は後で戻せばいい(治せばいい)、ではなく、AIだから人型の身体(ロボット)は必要ないという発想。目から鱗でした。

 

本作におけるAIのシオンや人間のサトミやトウマたちの在り方は、これまでの作品で突き当たっていた「AIを人と同等の存在として認めるべきか否か。」という問いには辿り着かないものでした。自分の中で停滞していたAI観を一歩勧めてくれるような回答を本作は提示してくれました。

 

 

 

 上記で述べた閉鎖感はAIに限った話ではなくて、SF作品でよく感じていたことです。例えば自分が大好きな『ガンダム』シリーズでは、登場するモビルスーツ(ロボット)の活躍に胸を熱くする一方で、登場する技術を用いて大きな争いを起こしたり、技術自体が争いの火種になったりする。勿論全てがそうではないと思いますが、自分が今までに観たSF作品における技術にはネガティブなものを纏っていることが多かった。

 

だからこそ、劇中で「サトミを幸せにする。」ために高らかに歌い上げるAIのシオンの姿はたまらなく輝いて見えるし、自分の中の暗かったSF観を照らしてくれるかのようでした。純粋に物語としてだけでなく、未来を照らしてくれるかのような明るさが眩しく、そして心底嬉しかったんです。

 

You've Got Friends ~あなたには友達がいる~

You've Got Friends ~あなたには友達がいる~

  • 土屋太鳳
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

 また、本作が非常にクレバーに感じたのが、そういったAIの可能性を手放しに謳うのではなく、AIの特性(一途さとも言い換えていいかもしれません。)故に悲劇を招いてしまう可能性もしっかりと踏まえていることです。

 

トウマの告白のためにサトミを呼ぶ場面におけるホラー演出。その直前に行われるサトミとサトミの母・美津子との会話でAIの危険性を示唆した直後であることも相まって、AIであるシオンの行うことに対して一瞬でも疑念や恐怖心を抱かせる。そうして危険になる可能性がゼロとは言い切れないことを示した上で、AIの可能性を描いていくバランス。

 

そのバランス感覚だからこそ、本作で描かれていくAIの可能性が決して絵空事ではなく、しっかりと地に足のついたものであると受け止めることができる。感動できる。

 

 

 

 また、本作で物凄く胸を打たれたことは、「AIにどうやって感情が芽生えるのか、どうやって本人が自覚するのか。」という思考実験を圧倒的な説得力を以って答えを示してくれたことです。

 

本作は中盤で登場するバックアップの概念を私たちが普段行う写真を撮ることと結びつけています。思い出を写真という形で残すことをシオンはバックアップという形で模倣する。そこでシオンが残したものを通じて、シオンの出自が明らかになるだけではなく、AIのシオンの感情をも浮き彫りにすることに成功しています。

 

だからこそ、物語終盤でシオンが「幸せだったんだね…」と自らの感情を自覚することに揺るぎない説得力が生まれていて物凄く感動しました。

 

 

 

 自分がAIを題材にした作品に求めていたことを言語化してくれたかのような秀逸な物語。その中で、AIの感情に寄り添いながら人とAIの在り方や共存の可能性を示していく。AIの可能性、AIを題材にした作品の未来を明るく照らし出す最高のエンターテインメントである本作を、是非沢山の人に観て欲しいと思いました。