スパイダーマン in MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)
『キャプテン・アメリカ シビルウォー』予告編にて発表された大ニュース。考えもしなかった展開に歓喜し、同時に湧き上がる『アメイジングスパイダーマン』シリーズ終了宣言への寂しさ。思えばMCU版スパイダーマンは複雑な心境を抱えながらの始まりでした。そして今、幕開けと同じく、複雑な心境で終幕を見届けることになりました。
2002年に公開された『スパイダーマン』から始まり、今まで継続してきた実写版スパイダーマン。その新作であり、MCU版スパイダーマンの完結である『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』が公開されました。
終わってほしくない気持ちと終わりを見届けたい気持ち。そんなジレンマを抱え余裕のない中で投下される過去のヴィランズの登場の一報。『アベンジャーズ:エンドゲーム』に続く語彙力喪失系映画に可能性を秘める本作に対し一作では収まらない思いや緊張感を抱えながら、意を決して劇場に足を運びました。
MCUのスパイダーマンは新しかった。これまでにトビー・マグワイア演じるスパイダーマン(以下トビースパイダー)とアンドリュー・ガーフィールド演じるスパイダーマン(以下アンドリュースパイダー)、2人のスパイダーマンが活躍してきました。その中では2人とも、『ミッションインポッシブル』よろしくNO BACKUPでやってきました。スーツをはじめとする道具は自分でアップグレードし、登場するヴィランや遭遇する事態には時には市民などの力を借りることはあれど、主に1人で対処してきました。
孤軍奮闘が常だったスパイダーマンがMCUを舞台にどう活躍するのか。ヒーローが他にもいるという意味で孤独ではないスパイダーマンはどうなっていくのか、ワクワクさせるには十分な要素でした。
中でも特筆すべき点は、失敗できてしまうこと。失敗しても他のヒーローにカバーしてもらうことができます。一作目『スパイダーマン:ホームカミング』では船を沈没させかけたところをアイアンマンに助けられました。対して、以前のトビースパイダーとアンドリュースパイダーは、他のヒーローに助けてもらうことはありません、他にヒーローはいないから、スパイダーマンにしかできない。だからこそ、スパイダーマンの孤独さと切なさが際立ち、その中で大いなる責任を果たそうとするスパイダーマンの姿に胸を打たれてきました。
しかしトムホスパイダーの世界MCUにはアイアンマンをはじめ、数多くのヒーローが存在しています。寧ろ、先人のヒーロー憧れ、模範にし、師を仰ぎます。更に、協力してくれる友人や恋人もいる。孤独感から程遠いキャラクター像がトムホスパイダーの特徴であり、今までには無かった実写版スパイダーマンとしてと魅力的でした。
作中一の富豪による超バックアップが付いているスパイダーマン。慣れない高所にビビるスパイダーマン。スイングが上手くいかないスパイダーマン。住宅街を走り抜けるスパイダーマン。他にヒーローが存在するMCUという世界観だからこそ許容される「洗礼されていないスパイダーマン」。かつての2つのスパイダーマンの誕生譚では見ることがなかったスパイダーマンの在り方でした。
二作目『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』で描かれた継承もまた、他にヒーローがいるからこその展開です。慕っていたヒーローが亡くなるだけでなく、そのヒーローが背負っていたものの一部を継いでいかなくてはいけない。親愛なる隣人が、あらやる意味で隣人でいることを脅かされていく。
他のヒーローがいる世界ならではの道を歩んできたトムホスパイダー。他のヒーローにヒーローの在り方を説かれ導かれ、そして継承してきた前二作品。その次に描かれる物語で他のヒーローであるドクター・ストレンジとの衝突が描かれたことは、これまでは導かれるがままだったスパイダーマンが自分なりのヒーローを在り方を確立したことを示しています。だからこそ、非常にMCU版スパイダーマンらしい展開だと思いました。
マクロな視点から主張するストレンジに対して、ヴィラン達を助けるというミクロな視点から主張するスパイダーマンもまたスパイダーマンらしい。
スパイダーマンらしさから逸脱するMCUらしさ、そのMCUらしさから更に浮き彫りになるスパイダーマンらしさ。そんな応酬が3(+3)作途切れることなく行われてきたことは、「スパイダーマン in MCU」に意義を見出してくれていたと思います。だからこそ、本作『ノー・ウェイ・ホーム』で行われたスパイダーマンらしさの回帰にもまた、大いなる意義が見出されたのだと思います。
トムホスパイダーをスパイダーマンらしさへ回帰させる過去作のヴィランズとスパイダーマンズとの邂逅。親しい者の命が奪われるというスパイダーマンの運命をヴィランズ(特にグリーンゴブリン)がもたらし、その運命への向き合い方をスパイダーマンズが教えてくれます。
MCUらしさの極致とも言えるマルチバースによってスパイダーマンらしさの回帰がもたらされる。スパイダーマンの課された運命の持つ引力とMCUという流れからの離脱、双方を同時に感じる展開には膝を打ちました。
スパイダーマンの物語の始まりは、トビースパイダーもアンドリュースパイダーも共にベンおじさんの死から始まっています。本作では、その展開をメイおばさんの死によって代替されます。
メイおばさんを殺したグリーンゴブリンを怒りのままに殴り殺そうとするトムホスパイダー。トビースパイダーとアンドリュースパイダーと違うのは、本作が一作目ではないということです。3(+3)作品に渡り活躍する中で力の使い方を学び、アイアンマンの死を経てヒーローの在り方確立しました。
それでもなお、メイ伯母さんの死に直面して激情を抑えることができなかった。初めはそこに納得できなったのですが、よくよく考えてみると師であるアイアンマンも『キャプテンアメリカ:シビルウォー』で激情を抑えることができませんでした。ヒーローとしての成熟が、必ずしもそういった成長とイコールではない。
3人で共闘する中で、トビースパイダーとアンドリュースパイダーが、かつて助けられなかった人を助けます。それは彼らにとって救済であるのと同時に、「彼らの死は無駄じゃない。」ということの実践に思えます。そしてトムホスパイダーが振り上げた拳を止めるトビーピーターの姿。彼の激情を沈めるのには、あまりにも強すぎる説得力です。
そして激情を抑えるトムホスパイダー。このバランスで良かったのだと思いました。
前述したトビースパイダーとアンドリュースパイダーがこうして再び登場してくれたこと。そして成せなかったことを成し遂げること。それらを観られた本作には感謝の念は絶えません。MJを助けてもアンドリュースパイダーの恋人であったグウェンは戻ってこない、その切なさも含め見せてくれたことは本当に良かったです。
「親愛なる隣人」という二つ名のとおり、他のヒーロー以上に身近な存在であると感じられるスパイダーマンが、あれから10年近く経過した今でも、変わらずヒーローとして頑張っていてくれている。その光景を目の当たりにすることは、「彼らもまだ頑張っている。」とこれ以上になく勇気付けられる。再びあの姿を見られたことが本当に嬉しかったです。
これまで描かれてきたスパイダーマンの孤独さ。それをMCUで積み上げてきた繋がりを全て断つことで表現してしまうラストの展開には心底やられました。MCUの物語が空っぽになったことを象徴するかのようなピーター(=スパイダーマン)の部屋がこれ以上になく悲しい。でも同時に、だからこそ、そこからニューヨークの摩天楼へ跳び立っていくスパイダーマンの姿にこれ以上になく感動させられます。
かつて大義を選択して命を落としたトニー(=アイアンマン)の姿が重なるピーターの最後の選択は、繋がりこそは絶たれてしまったものの、ピーターの中には間違いなくMCUの物語が生きていることを感じさせてくれます。
トビースパイダーとアンドリュースパイダーの一作目が街中を跳ぶシーンで締められているのと同じように、MCUという舞台をまたいだ大いなる誕生譚の終わりと始まりを象徴するラストシーンだったと思います。
MCUという複雑な舞台で語られるスパイダーマンのアイデンティティ。それを経て辿り着いた大いなる再スタートは素晴らしかったです。再び親愛なる隣人の姿を見られる日が来ることを楽しみにしています。