モリオの不定期なblog

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受け継がれていく想い。決して途切れない英雄達の呼吸に涙する。<劇場版 鬼滅の刃 無限列車編・感想>

 写実的な描写の中で躍動する太い線で描かれたキャラクターと水墨画のようなエフェクトが格好良いアニメ。それが、新型コロナウイルスをも吹き飛ばす熱量を以て日本で社会現象を巻き起こしている作品、『鬼滅の刃』に対して抱いていた第一印象です。本作のアニメーション制作を担当しているufotableがこれまでに制作した『Fate/stay night[Heaven's Feel]』や『空の境界』で魅せてくれた写実的な表現に、漫画もとい浮世絵を感じさせる表現が合わさる。温故知新が具現化したかのようなアニメーションが強烈に印象に残ったことを今でも覚えています。

 

 

劇中で主人公が何度も発する「頑張れ。」という台詞。やりがい搾取やブラック企業など、頑張るということをストレートに受け取ることが難しくなってしまった中で、「頑張れ。」と自分を鼓舞し一生懸命に頑張る主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)の姿が、頑張るということのプリミティブな意味と価値を感じさせてくれる。

 

本作の登場人物、特に炭治郎は独白や思考が多い。一見説明過多にも思えるが、その事はあまり気にならない。何故かと言うと、「頑張れ」の内容が物凄く具体的だからです。今何が起こっていて、何に注意を向けて、何に対応しなきゃいけないのか、それを一つ一つ丁寧に言葉にしている。

 

例えば敵と戦ってる時は、相手の特性や自分が不利な点に始まり、どの技を選択しどのように繰り出し対処するべきなのかを思考し実践する。その一連の流れが、堅実で建設的でとても気持ち良い。独白の一つ一つが、「頑張れ」という言葉の強度を高めてくれる。

 

もちろん戦いの終盤になると、論理的な思考よりも気持ちの強さが前面に出てくるが、そこに至るまでの過程をしっかりとロジカルに展開してくれてるから、しっかりと「頑張れ!」と気持ちに乗れる。「ただがむしゃらに、盲目的に頑張るのではなく、どう頑張るのかを考える。」その大切さを感じさせられる。頑張り方のお手本を見せてもらってるみたいで、それは本作が爆発的なヒットを飛ばしている要因の一つではないかと、個人的に思います。

 

そんな本作の作劇が気持ちよかったし、何だか嬉しくもあった訳です。良い作品が必ずしも「自分も頑張ろう。」と思わせてくれる作品という訳ではありませんが、「自分も頑張ろう。」と思わせてくれる作品は良い作品だと思います。

 

そんな気持ちの良い「頑張れ」がある本作が遂に、というほどそんなに時間は経っていませんが帰ってきました。それも、ただでさえ華やかだった映像に更に華やかな装飾の加わった劇場版として。

 

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 (以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 

 「更に華やか」とは言いましたが、正直なことを言うとテレビシリーズの第19話の感動を超える事は無いだろうと思っていたんです。終盤の『竈門炭治郎のうた』という歌をバックに死闘を繰り広げる炭治郎と彼を助ける妹の禰豆子(ねづこ)。家族を失ったが故に辛く苦しい。でも家族が居たから、生き残った家族がいるから、戦うこと、前に進むことを止めない炭治郎。そんな彼の姿と断ち切られることのない兄弟の絆。それを感じさせてくれる視覚と聴覚の情報が同時に涙腺を刺激してくる第19話の最後は、『鬼滅の刃』のハイライトな訳です。

 

この歌がアニメで流れたのは、たった一度だけでしたが、LiSAさんが歌う主題歌の『紅蓮華』話題になった中でも、「『鬼滅の刃』と言えば『竈門炭治郎のうた』だろう!」なんて思うくらいには、自分の中で残っています。(もちろん『紅蓮華』も好きです。)それぐらい涙腺を刺激されたんです。

 

なので「これ以上『鬼滅の刃』に泣かされる事は無いだろう。今回の劇場版では、映像面で楽しませてくれたら万々歳!映像をとにかく楽しもう!」という気持ちで座席に座りました。全集中!

 

竈門炭治郎のうた

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 いざ、観賞してみると、めちゃくちゃ泣かされました。テレビシリーズの感動は序章だったのか…と思わせられるほど、心が揺さぶられたんですね。完全に不意打ちをくらいました。こんなに泣かされるとは思っていなかった。何故これ程までに心を揺さぶられたのか。

 

 

誰かのために、自分の身を危険に晒してでも戦う、助ける。そんな炭治郎たちの在り方がとても眩しかったからではないかと思います。

 

mori2-motoa.hatenablog.com

誰かのために頑張ることって大変だと実感した話。

 

体の何処かを少しぶつけただけでも痛いし、鋭利なものでほんの少し切っても痛い。表面も表面、骨に全く届いてるわけでもないのに本当に痛い。子供の頃に遊具にスネをぶつけただけでも涙が出そうになるくらい痛かった。

 

骨が折れたり、折れた骨が内臓に刺さったり、目が潰れてしまったりなんてことは想像すらしたくもない。

 

作中ではコミカルに描かれる善逸(ぜんいつ)のビビリ描写。見ていると笑ってしまうが、自分だって直面すれば、あんな風に怯えてしまうのではないかと思います。そのビビっている善逸でさえも、大好きな禰豆子のことになるとダッシュで危険に身を投じる。

 

映画『アイ アム ア ヒーロー』で主人公がロッカーの中で、何回も助けに出ようとして「ダメだぁ〜…」って怖気付いてしまう様子が思い出される。戦いへ身を投じるうえで恐怖に打ち勝つだけでも、もう本当に精一杯になってしまうと思うのです。正直、投じた先のことなんて考える余裕は無い。

 

炭治郎たちが涙ながらに強くなることを渇望する場面がありますが、自分はそれ以前の問題。

 

だからこそ、身を投じる事ができる炭治郎たちに対して、ほんの僅かに嫉妬の混じった尊敬の念を抱く。

 

 

 

 しかし本作では、そんな彼らの健闘がありながらも、炎柱の煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)が死んでしまいます。そして戦っていた鬼には逃げられてしまう。鬼殺隊として鬼を殺すことを目的としていることから考えると、その結果は敗北。しかし、彼らの根本の目的は、鬼を殺すことではない。人を喰らう鬼という脅威から、人々を守ること。そして忘れてはいけない事実が一つ。今回、死者はゼロであったこと。戦いに巻き込まれた人々は誰一人として死なせる事はなかった。煉獄自身が宣言した通り、全員守った。

 

観ている瞬間、自分の中で敗北(バッドエンド)が頭の中をよぎった。今回は鬼殺隊の敗北で終わるのかと、哀しさと悔しさが入り混じったものを感じていました。

 

そんな中、聞こえてきたのが、炭治郎の勝利宣言。

 

見方によれば、負け惜しみや負け犬の遠吠えに映るかもしれない。悔しさと哀しさに満ち溢れたあの宣言は、鬼からしてみればただの強がりなのかもしれない。

 

だがそうじゃない。その後の煉獄から炭治郎たちへの想いの継承も含め、彼らは負けていないのである。本作含めテレビシリーズから散々見せられた鬼達の再生能力。それによって再び戦う力を即座に身につける鬼達。圧倒的なスペックを前に、簡単には傷を治せない炭治郎たちは何を以て勝るのか。それは「継承」によってであることを、本作のラストでは感じさせられました。

 

 

 

 本作に登場する数多くの呼吸を始め、継ぐ子など「継承」というキーワードが非常に印象的です。本作ラストのように、亡くなってしまう誰かの志であったり技術、また、鬼に殺されることによってではなく、老いによって果たせなくなった想いを誰かが受け継いでいく。

 

また、継承は亡くなった者から残った者へのみではない。例えば煉獄の父親は存命だが、何かをきっかけに、かつての熱を失ってしまっている。しかし、その息子である煉獄は、技や志など両親から受けたものを糧に多くの人を助けた。

 

また蟲柱・胡蝶しのぶ(こちょうしのぶ)の「鬼への歩みよろうとする想い」を炭治郎に託したのも、一つの継承だ。同じく鬼殺隊として戦っていた姉を殺され、鬼に対して怒りを感じている。しかし、その鬼を信じようとしているのは他でもない姉自身だった。そんなジレンマから鬼への歩み寄りが難しい中で、鬼の妹を連れている炭治郎にその想いを託している。期待している。それも一つの個では完結しない人間の強さだと思う。

 

対して鬼はどうだろう。下弦の壱が死んだことに対して上弦の参は意に介さない。倒された鬼、死んでいった鬼たちの想いや技術はそれぞれ個々で完結し、受け継がれていく事はない。

 

脈絡がない上弦の参の登場は、そんな人と鬼の在り方の対比のように感じられました。

 

 

 

 しかしそれでも、やはり個としての煉獄は死んでしまった事実は変わらない。託したから、人を助けるという大義を果たしたからといって、死んだことを良しとできる訳でも、死んだ悲しみが消える訳でもない。故に炭治郎の涙は止まらない。

 

未熟故に煉獄に加勢できなかった事への悔しさ。託されたものとして、彼と同じくらい強くなる事ができるか分からない不安。

 

そんな沈んでしまいそうな空気を吹き飛ばしてくれたのが、滝のように涙を流す嘴平伊之助(はしびらいのすけ)。なれるかなれないか、ではなく、信じると言われたならそれに応えるしかない。そう彼は言う。

 

涙を流す炭治郎の気持ちも、応えるしかないと言う伊之助の思いも、両方嫌という程分かる。涙が止まらなかった。まさか伊之助に泣かされるとは思わなかった。

 

 

 

 

  受け継がれていく技術と想い。それこそが人の可能性であり、いつか鬼を滅するのではないかと思わせてくれる。受け継がれる限り、呼吸は途切れない。本作は『鬼滅の刃』において途中の話であり、結末には程遠く、本作単体では完結しません。しかし、本作の登場人物たちのように次へ繋ぎながら、『鬼滅の刃』という作品の核を見せてくれる非常に重要な一編だったと思います。

 

それ故に、途中の作品という枠に当てはまらない余韻を残してくれる。継承の末に辿り着くであろう結末を見届けたい。そう思わせられる一作でした。