モリオの不定期なblog

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最近のウルトラマンの変身シーンが長い!時間の長い変身シーンは作品に対してマイナスになるのか?

 

 子供の頃は、ウルトラマンティガ・ダイナ・ガイア・パワード・ゼアスに熱中していました。ウルトラマンエックスで再びウルトラマンに興味を持ち、ウルトラマンオーブ(以下オーブ)以降リアルタイムで作品を追っています。子供の頃とは違った視点で毎週楽しんでいます。

 

 

 

 そんな中、オーブの第1話で衝撃的だった事が、変身シーンの時間の長さ。変身アイテムを掲げるだけで変身するのがウルトラマンの変身という認識だった私にとって、オーブの変身シーンを観た最初の感想は「長っ!」でした。

夕陽の風来坊

 

試しに時間を測って観たところ、変身シーンだけで約30秒も尺が割かれています。それも最初の変身の時だけでなく、形態を変えるフォームチェンジの時も同じくらいの時間をかけて描写されています。今ではすっかり慣れましたが、当時は早く戦闘シーンに移って欲しいと思いながら眺めていました。

 

ここで頭に浮かんだのは「時間の長い変身シーンが作品に対する満足度を下げてしまうのか?」という疑問。そもそも変身シーンが長いと何が問題なのか。変身シーンの間は物語の進行は止まっていますが、変身シーンが2〜10秒程度であればそれを意識する事はありません。

 

しかし、それが30秒以上となると話は変わります。1度の放送の約23分の内、最も長い場合だと1分30秒という決して短くはない時間、物語が止まってしまいます。加えて戦闘シーンで盛り上がってきたタイミングでフォームチェンジが挟まれた場合、テンポが悪くなり盛り上がりを阻害してしまう可能性があります。

 

そんな中で、本当に作品に対する満足度は下がってしまったのか。ウルトラマンオーブ全話の視聴を終えた後、時間の長い変身シーンによって作品に対する満足度は下がってしまったのか?

 

 

 

 先に結論を述べると、「必ずしも満足度が下げる訳ではない。」と思ってます。そのように考えるようになった作品は、『ウルトラマンオーブ第17話:復活の聖剣』。自分の制御できない力に恐怖を感じ苦悩してきたウルトラマンオーブことクレナイ・ガイが、その恐怖を克服しオーブオリジンという真の姿を取り戻します。ついに登場したウルトラマンオーブの真の姿にだけでなく、これまで描かれてきたガイさん個人のドラマにも心揺さぶられました。

復活の聖剣

その回の放送を観た後に驚いた事が一つ。これまで戦闘の導入としか認識していなった変身シーンに、戦闘シーン以上に心が惹かれていた事です。

 

 

 

 何故これほど変身シーンに心が惹かれたのか。それは変身シーンに至るまでウルトラマンであるガイさんの物語の積み重ねが有り変身シーンにカタルシスが生まれたからだと思います。変身シーン後の戦闘ではなく、変身シーン自体を物語の山場に持っていく構成。ドラマの一つの到達点として変身シーンを設定した事により戦闘シーン以上の見せ場になったのだと考えられます。

 

この話のように変身シーンを物語の山場に配置する事で、戦闘シーンと同等、もしくはそれ以上にカタルシスを感じる事が出来るのではないでしょうか。変身シーンの間、物語が止まってしまうのであれば、そこを物語の一つの到達点に設定する事で変身シーンに、具体的には「変身アイテムの操作」に物語上のカタルシスが加わり見応えのある物にする事が可能なのではないかと思います。

 

 

 

 時間の長い変身シーンは扱い方を誤ると作品のテンポを損ない満足度が下がってしまう可能性もあります。しかし時間の長い変身シーンを、作品を作る上での制約と捉えるのではなく、寧ろ作品のドラマを引き立てる為の要素として捉え活かす。そうする事で、変身シーンの時間が長くなった今にしかできない作品を生み出す。その可能性を持っていると思います。