モリオの不定期なblog

映画・特撮・アニメの感想や思った事を書きます。宜しくお願いします。

僕達がMCUを通じて観てきたものは何だったのか。<スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム・感想>

 『アベンジャーズ エンドゲーム』(以下EG)の公開からまだ2ヶ月が経過していません。当然Blu-rayは未だ発売していなければEGの公開も終了していない中、スパイダーマンの最新作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』がEGの公開終了の翌日から公開する事になりました。次なる物語がたったの2ヶ月で鑑賞することのできる喜びを感じると同時に最新作がすぐに塗り替えられてしまう事実には少し抵抗を感じています。アイアンマンをはじめ、退場するヒーロー達があっという間に過去の存在になってしまうと感じているからです。

 

なんて、未練がましく考えていても仕方ないわけです。壮大な戦いを終え大いなる存在が去った後の世界がどのように描かれるのか。そこに残された若きヒーローはどのように生きていくのか。それを目撃しなくてはいけないという、使命感のようなものを勝手に感じながら映画館に足を運んできました。

 

 

 

Spider-Man: Far from Home (Original Motion Picture Soundtrack)

Spider-Man: Far from Home (Original Motion Picture Soundtrack)

Spider-Man: Far from Home (Original Motion Picture Soundtrack)

 

 

 

 

(以下、映画本編のネタバレがあるのでご注意ください。)

 

 

 

 

 

 

 

 

ミステリオの虚構で浮き彫りになる本当のヒーロー

 本作の中盤、新たなヒーローの一人として活躍していくかに見えたミステリオが敵であった事が判明します。それどころか、彼自身の能力と彼が戦っていたエレメンタルズという敵さえも嘘、フィクションであったという衝撃の展開。その事実は単に彼が本当は敵であったという事に対して衝撃を与えるだけでなく、エンターテインメントとしてヒーロー映画として長年楽しんできた作品が本当は虚構である事を意識させる物です。

 

ヒーロー映画がフィクションである事は重々承知している事ですが、作品の中で「ヒーローは作り物である」という事を感じさせられる展開が繰り広げられるとは思いもしませんでした。

 

 

 

 ミステリオの着ていた映像合成用のスーツは映画のメイキングでは馴染み深い格好であり、その格好は映画の舞台裏であるという認識を観ている人に呼び起こさせます。映像合成用のスーツを着たミステリオが、ホログラムで出力されたミステリオと重なる瞬間はメイキングで映像が完成していく過程を彷彿とさせます。

 

「こうやってヒーローは作られていくんだぞ。」と見せつけられているかのような一連のシーンは映画の中の世界、MCUという世界から現実に引き戻されるかのような感覚を味わわせられる。

 

ではその感覚は作品に対する感情を冷ましてしまうのかというと、それは違います。

 

 

 

 目に見えるものが全てではありません。ミステリオの作る虚構に惑わされずスパイダーセンス(またの名をムズムズ)で攻略したスパイダーマンのように、観客である私たちも何かを作品から感じ取っています。

 

この人達を救いたい。守りたい。

 

その思いを感じ懸命に戦っている姿を観る事で、そこにヒーローの存在を見出してきた。ミステリオにはそれが無かった。そこにあったのは自分を認めて欲しいという自己顕示欲だけ。

 

ミステリオのフィクションが、MCUで描かれてきたヒーローというフィクションの中に存在するノンフィクションを浮き彫りにしました。

 

 

 

約10年の間に僕達が観てきたもの

 MCUが約10年間で行ってきた事の一つはヒーローの普遍化です。『アイアンマン』からはじまったMCUは数多くのヒーローを様々な形で見せてきました。出自や境遇が異なるどころか作品のジャンルやトーンさえも異なる中で、彼らがヒーローとしての姿を見せてきた。

 

だからこそ、「ヒーロー」という存在がこれまで以上に際立たせてきた。「ヒーロー」という存在は作風やジャンルによって成り立つものではなく、誰かを助けようとする者の姿から観客である私たちが見出す存在なのだと。

 

大金持ちの発明家であろうと、伝説の兵士であろうと、神様であろうと、一国の王様であろうと、学生であろうと、その一点において関係ありません。もっと言えば、彼らの存在がフィクションかノンフィクションかという事も関係ありません。

 

EGで見せてくれたアッセンブル(集合)は、生まれた場所や立場、持っている能力を問わず「救いたい。助けたい。」という思いを持ち、世界を救うために多くの者があの場所に立っていました。全員が並び立ち全員が同じ方向を向き走っている。ヒーローという存在が大きな一つの塊として具現化したかのような光景は、約10年間に渡る物語の集大成でありヒーローという存在をこれまでにないくらい感じさせてくれました。

 

アベンジャーズ/エンドゲーム 4K UHD MovieNEX [4K ULTRA HD+3D+ブルーレイ+デジタルコピー+MovieNEXワールド] [Blu-ray] 

 

本作でも、友達や好きな子を守る為に再び立ち上がる。誰かを助けたい救いたいという思いの始まり、初心にかえる。

 

MCUで約10年の間に僕達が観てきたものは誰かを助けようとする者の姿なのだと、観客自身も初心にかえる。

 

 

 

 だからこそ、ミステリオとその仲間たちの軽薄さに怒りを覚える。悩み苦しみ、別れてしまう事になっても人を救おうとする事をやめない。そんなヒーローたちの見た目だけをなぞる事だけでなく、人の命を演出の一要素としか見なしていない姿勢は最低最悪に他ならない。

 

彼らにも彼らなりの努力や人生があった。怒りを感じたり恨んだりする事はあるかもしれない。だからトニーを妬み恨む事は結構だし、勝手にしてろと思います。だがヒーロー達が見せてきた姿や生き様、在り方をそんな風に嘲笑し外面だけ真似する事は決して許されない。ヒーロー達が守ろうとしてきた命をないがしろにするなら尚更。

 

そういった意味でミステリオは、MCUで最も怒りを感じた敵だったのかもしれません。なんだったら生命の半分を消したサノス以上に怒りを感じました。そんな中でラストのスパイダーマンの正体の暴露が加わるのだから、ミステリオに対するヘイトはカンストしました。

 

負の感情を書いても仕方ありません。楽しかった部分に改めて目を向けて落ち着きたいと思います。

 

 

 

 

 

アクションシーンについて 

物語の事についてばかり語ってしまいましたが、やはりエンターテインメントであるヒーロー映画で重要な要素がアクションシーンです。目に見えるものが全てではないと言っておきながらアクションシーンが大事であるのはなんとも言えませんが、実際大事なので仕方ないです。

 

前作『スパイダーマン:ホームカミング』では、ピーターの未熟さも相まってかアクションシーンのダイナミックさが物足りないと感じました。サム・ライミ版、マーク・ウェブ版とこれまでのスパイダーマン映画で高い建物が並ぶ街を上へ下へと縦横無尽に動き回っていた映像に魅せられてきたという土台があると、どうしても見劣りする印象がありました。

 

しかし本作では、縦横無尽に動き回るアクションシーンが展開されていました。特に終盤のロンドン橋におけるドローンとの戦闘シーンは前作以上、それどころかサム・ライミ版やマーク・ウェブ版にも見劣りしないアクションになっていました。

 

ジョン・ワッツ監督がもともとそれだけのアクション演出力を持っていながら前作はあえて抑えたのか。もしくは前作の経験から飛躍的な演出力の向上を実現したのか。いずれにせよ、ヴァルチャーとの空中戦を強調する為に敢えて低い建物での移動に限定する演出だったのかと受け取る事ができ、本作で前作のアクションに対する評価も更に上がりました。

 

ダイナミックでありながらも曲芸師のように細かい動作を限定された空間で繰り広げられる。アイアンマンやキャプテンマーベルなど直線に飛ぶヒーローが居るのに対して、彼は放物線を描いて飛ぶ。推進力の無い飛行ならではの、他のヒーローにはないアクション的魅力を本作で確立できたかのように思えます。

 

Marvel(マーベル) Spider-Man Far From Home(スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム) 3Dポストカード [インロック]

 

 

 

親愛なる隣人

 これまで描いてきたものの積み重ね、それを新たな物語、映像、映画、体験へと昇華していく。まるで自給自足のようなシリーズへと完成されていた。整合性をとり他のヒーローたちを同じ世界観に存在させる事で一つの大きなシリーズを作る事の意味が本作にはつまっていました。

 

そんなネタ切れ知らずのMCUにおいて、本作のラストで正体がバラされた上に嘘を広められて窮地においやられてしまったスパイダーマン。今後どんな展開になるのか想像できませんが、きっと大丈夫だと思います。僕達の知っている親愛なる隣人の見せてきた人を助けようとする姿が、きっと人々に嘘偽りのないヒーローの存在を見せてくれるから。