モリオの不定期なblog

映画・特撮・アニメの感想や思った事を書きます。宜しくお願いします。

天気が映画の広告になってしまった…

 現在、世間はお盆休みでありながらも台風10号の到来により天気が安定しない日々。かといって、晴れたら晴れたで、気力を根こそぎ奪うと言わんばかりの猛暑。室内で娯楽を楽しめる映画館へ足を運ぶ事さえも躊躇してしまいます。結局外出する事を控えて、家で悶々と過ごしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな中、私の中でタイトルの通りとんでもない事が起こっているのです。

 

天気が広告になってしまったんです。

(大事な事なのでもう一度書いておきます。)

 

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 いや「何言ってるんだこいつは。」とか「連日の暑さに頭がやられたか。」なんて言わないでください。

 

そもそも何の広告なのかという話をします。それは現在公開中のアニメーション映画『天気の子』です。美しい映像を存分に生かしたその物語が非常に魅力的な本作で、私は既に複数回鑑賞してしまいました。

 

ネタバレをしない程度に内容に軽く触れておくと、本作において天気が非常に印象に残るんです。全編に渡り描かれる美しい天気の映像が感情を突き動かし、その動きの蓄積が最終的に天気の見え方を変えてしまう。そんな体験が本作の素晴らしいところなんですよね。

 

mori2-motoa.hatenablog.com

 

 

 

 天気の描写が非常に重要な要素になっている事で、本作の鑑賞後には天気の事が気になって仕方ない訳です。青空や太陽はもちろん、それらを隠す曇り、そして体を濡らさんとする雨。それらが全て、作品の印象的なシーンを、ひいては作品の物語を思い出させられてしまうのです。 

 

つまりそれはどういうことか。どんな時間であろうとも、どんな場所にいようとも、一歩外に出てしまえば『天気の子』を思い浮かべてしまうのです。空が晴れていれば、100%の晴れ女が祈っている映像を思い浮かべてしまうし、雨が降っていれば、帆高たちが雨の中で傘をさしたりカッパを着て歩いてる光景が目に浮かんでくる。どんな天気であっても『天気の子』に結び付けられて、「また観たいな。」と思ってしまう。天気が広告と化してしまっているのです。

 

テレビでCMを目にする事やSNSで宣伝ツイートや感想のツイートが流れてくる事とは比較になりません。

 


映画『天気の子』予報①

 

 

 

 日々財布の中のお金と相談しながら鑑賞する映画を考えている中で、この現状は非常によろしくない。映画を鑑賞できる回数限られているというのに、同じ作品ばかりを観ていては他の作品を鑑賞する機会が減ってしまう。だから他の作品の事を考えたりするのですが、一旦建物の外に出て空を見ると、その時にはもう頭の中がグランドエスケープ状態or愛にできることはまだあるか状態になってしまうのだから、さあ大変。

 


映画『天気の子』予報②

 

 

 

「ねえ、今から晴れるよ。」ではなく

「ねえ、今から観れるよ。」なわけです。

 

もし自分が今学生だったら、この悪魔の囁きに抗う事なく「『天気の子』観に行こ!」と帰りにそのまま劇場に足を運んでしまうのです。財布の中の有り金を全て鑑賞につぎ込んでいた事でしょう。なんともまあ、意思の弱い奴である。

 

感動の涙で目元は潤っても、財布の中身は干上がってしまう。

 

しかし、実際は学生ではなく働いている身。映画館へ足を運ぶ事ができる日が基本的に休日に限られてしまう事が、これ程ありがたいと思った事があったでしょうか。身を滅ぼさない程度に楽しむことのできる環境で本当に良かった。

 

 

 

 「これから一生、天気の子の物語を思い出し続ける日々を過ごすのだろうか。」という喜びなのか、悲しみなのかよく分からない感情を今は抱いています。

だけど多分大丈夫です。(大丈夫じゃない。)

 


映画『天気の子』後報

 

 

演出の一要素を超えて天気を作品の題材にした時、日々の天気が広告になってしまうというとんでもない発見をしてしまった『天気の子』。恐ろしい作品です。